台湾人として初めて日本の帝国美術院展覧会(帝展)に入選するなど活躍した黄土水は、1921年に代表作となる「甘露水」を制作したが、1930年に35歳の若さで夭逝。夫人は作品を持って台湾に帰り、その後「甘露水」は台北の教育会館で展示されていた。しかし戦後、国民党の政府によって運び出され、台中の駅や倉庫に放置されていたところ、医師の張氏が引き取り、しばらく家の居間に飾っていたという。映画では当時の様子を張一家の人々が証言するほか、張家から「甘露水」が消えて再発見されるまでの過程も紹介されている。
最後に「フィクション」を入れた意味
リム・カーワイ(以下、リム) この作品はドキュメンタリーですが、最後に「甘露水」の収められた箱を開けると、像が見当たらない。それはフィクションだと思いますが、どういう意図があってああした場面を入れたのでしょうか。
ホアン 決して、冗談のつもりであの結末を作ったわけではありません。映画の中では繰り返し黄土水の書いた文章が読みあげられますが、彼はその中で、自分のつくる彫刻は単なる作品ではなくて、老いることのない、死ぬことのない、不死の存在なんだという話をしています。ですから、長く箱の中にいた「甘露水」も、そういう不死の存在であるべきだと私たちは考えました。箱の中に閉じ込められていたのが発見されるのではなく、自から箱を出て蘇ったのだ、という話にしたんです。
リン 箱を出た「甘露水」は肉体を持って、黄土水と2人で芸術の道を歩いていく。私たちは、今の時代においても、芸術の道を歩もうとする若者たちに対するエールのようなものを、このラストから感じ取っていただければと思いました。

