北京五輪のトラックで惨敗、マラソンへの移行を決断
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福士さんが、そこから2011年のシカゴマラソンで再びマラソンの舞台に立つまで、3年9か月の時間を要した。シカゴでは2時間24分38秒で3位入賞を果たし、それから1年後の2012年、ロンドン五輪後、本格的にマラソンに移行することを決めた。
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――ロンドン五輪後まで決断に時間がかかったのはなぜだったのですか。
福士 北京五輪の後、「ロンドン五輪でマラソンに出よー」と考えて選考レースに出たけど、ダメで。五輪にはトラック(5000m、10000m)で出場したんです。でも、まったく歯が立たなかった。
世界の人たちには、スピードじゃ勝てないと肌で感じてしまったのと、ちょうど新谷(仁美)さんが出てきて勝てなくなってきたので、「これはもうマラソンだな。マラソンなら五輪でも上位にいけるかも」って思ったんです(笑)。
トラックとマラソンは別モノ
――マラソンに向けた練習はかなり進んでいたのですか?
福士 監督に言われたメニューの半分ぐらいしかできず。合格点をもらえなかったですね。メニューを見たら完全に日本記録を出すレベルなんですよ。できたらすげぇなぁ、いつかできるかなぁって言っていたら引退の方が先にきました(笑)。
基本的に、長い時間、練習するのが嫌なんですよ。マラソンって30kmとか40kmを走るじゃないですか。午前中にその練習だけして終わればいいですけど、午後になったら「ジョギングしなさい」って言われて、別の練習が入るんですよ。私はそれを「意味わからん」と思ってしまうタイプで。
そうして基礎体力を作る地道な努力が必要なんですけど、ただでさえ練習嫌いな子が練習をしないといけない。よくマラソンを選んだな、こんなもん無理だって思いました(笑)。
――でも、トラックのスピードを活かせば有利とか、思ったりはしませんでしたか。
福士 トラックとマラソンは別モノ。解説の人が、35km過ぎに「これから5000mのレースが始まりましたね」と言ってくれちゃうこともありますけど、始まるか、そんなもん(苦笑)。
マラソンでその距離からトラックのフレッシュ感なんて出るわけない(笑)。そのくらい違うんで、マラソンに立ち向かうのはかなりしんどかったです。




