『進め!電波少年』の前説をしている最中に、「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」のスタートを突如告げられ、1年2カ月に渡ってチリからアラスカまでをヒッチハイクで旅したお笑いコンビ「ドロンズ」の大島直也(55)。
タレントとして活動する彼に、離婚後、ステージ4の肺がんが発覚した母親の苛烈な介護、母の死から3年後に発症した脳梗塞、テレビにおけるコンプライアンスなどについて、話を聞いた。
――2014年に離婚して「ちりとり鍋 大島」を譲渡。保険営業の仕事をしようと準備を進めながら芸能活動を再開する中、お母さんのがんが発覚したそうですね。
大島 2016年の2月でしたね。「がん検診で引っ掛かって検査しないといけないかもしれないから、一緒に来てほしい」と電話があって。付き添って病院に行ったら、ステージ4の肺がんで骨にも転移してると宣告されました。
母は横浜のアパートでひとり暮らしをしていたんですけど、病院に通いやすくて、僕が東京に出やすい宮前平にマンションを借りて、そこで一緒に住み始めました。そのタイミングで「実は離婚したんだ」と告白もして。
1人で母親のおむつを交換する生活。布団が糞尿まみれになることも…
――お母さんの様子は。
大島 がんのショックで反応性うつ病になってしまって、家から一歩も出なくなっちゃって。友達からの電話に「もう2度と電話してこないで」と言ってしまったり。
抗がん剤投与や放射線治療も少しやりましたけど、それで治るわけではない状態だったので。食事も摂れなくなったんですけど、「胃ろうをしても寿命は少ししかのびないからかわいそう」だと医師に言われて、胃ろうはしませんでしたね。
肺がんの症状自体はなかったものの、骨に転移が広がって歩けなくなって、寝たきりになりました。ショートステイ先で起き上がれなくなって、病院に行ったら「ここには入院できません。特別養護老人ホームに行くしかない」と言われてしまって。
――大島さんが一人でお母さんの世話を。
大島 特別養護老人ホームの空きがない不安な中で、僕がおむつ交換などをしていましたね。おむつをはいても、排尿すると気持ち悪いらしくて自分で外してしまうんですよ。そのたびに布団が糞尿まみれになって。
本当に地獄でした。僕もノイローゼ気味になって、毎日姉に愚痴LINEを送ってました。だけど、姉はそれを否定することなく、すべて優しく返してくれて。姉には救われましたね。

