――やっと病院へ。

大島 目が覚めたらベッドの上で。頭はクリアでしたが、右側の視界が歪んで歩けないんですよ。手、足、言語のリハビリをやりました。

 足のリハビリで自分ではできているつもりで「何でこんな簡単なことを」と少しイライラしてたら、マネージャーから「全くできてないよ」と言われてショックでしたね。

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――後遺症は。

大島 入院は1カ月弱でしたが、「治る気がする」と楽観的でした。脳の真ん中あたりが白くなっていたんですけど、奇跡的に後遺症もなく治りました。医師からは「奇跡的だ」と驚かれました。

――お父さんは脳腫瘍、お母さんが肺がんだと、「自分もがんになるのかな」と考えそうですけど、そこで脳梗塞になるとは想像していなかったのでは。

後遺症も残らず、医者には「奇跡的だ」と驚かれた

大島 そうなんですよ。「え、そっち?」って。水はよく飲むし、低血圧だし、まさか自分が脳梗塞になると思っていなかったですね。

息子から届いた嬉しいLINEの報告

――さまざまな経験を振り返ってみて、波乱万丈な人生だと思いますか。

大島 僕は破天荒な人間ではないし、波乱万丈だとも認めたくないけど、いろいろありましたね。55歳でここまで体験しちゃって。もう波乱万丈は勘弁してほしいです、お腹いっぱいです。

 脳梗塞で倒れた時に息子は小4でしたけど、息子と五体満足で遊べることに、ものすごく幸せを感じましたね。

 いま息子は元嫁と一緒に暮らしてるんですけど、高校受験に合格したとLINEで報告してくれたのも嬉しかったです。

――テレビにおけるコンプライアンスが話題になると、『進め!電波少年』がよく引き合いに出されますが。

大島 時代だからしょうがないですけど、今のテレビはコンプラの関係でドキドキ感がなくなっている気がします。

 ヒッチハイクの旅をして、北米でピストルで撃たれたり、「ゴー・バック・オリエンタル!」と怒鳴られたのは、今でも思い出しますし、耳に焼き付いています。南米は貧困が原因で襲われますけど、北米は差別で襲ってくる。

 そんなこともあったけど、楽しい思い出もあります。

 

 ペルーのテレビに出て、街を歩いたら芸能人みたいにサインを求められて、週末は公園でストリートコントをやったりして、それが自信にもなりましたね。

 過激がいいという意味ではなく、ああいう予定調和ではない、本気のチャレンジから生まれる熱気みたいなものが、形を変えてでも次の世代に伝わっていってほしいなと思っています。

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