――かなり追い詰められていたのですね。
大島 僕が仕事に出ようとしたら、母に「早く帰ってきて、帰ってきたら死んでるかもしれないから」と言われたことがあって。さすがに僕もブチッと切れて、母が寝ている横の床をバーンと叩いて「なんでそんなこと言うんだよ! そういうこと言われた方の気持ち考えたことあんのかよ!」って怒鳴ってしまって。
後になって「がんになった人の気持ちを考えたことあんのかよ。なんであんなこと言ったんだろ」って自己嫌悪になって、かなりこたえましたね。また当時は介護者の会があることを知らなかったので、悩みや愚痴は姉にしか言えなかったんです。
介護疲れで手を掛けてしまったなんて事件のニュースを見ると、その気持ちはよく分かります。他人だったら、なにか言われたり、何度も汚してしまっても怒らないけど、親だからこそ頭に来てしまうことがある。本当に介護は無理するもんじゃない、第三者に頼るべきですよ。
――その後、特別養護老人ホームに入ることができましたか。
大島 幸いにも病院と提携している温かみのある特養が見つかって、入ることができました。2日に1回、顔を出して喜ばせようと、お花やデザート、昔の写真なんかを持っていったんですけど、あまり反応がなくて。1番反応があったのは孫を連れて行った時でしたね。「学校楽しいの?」と、すごく元気になりました。
特養に入ったのが2016年4月で、2017年7月に81歳で亡くなりました。
ずっと付き添っていたのに、立ち会えなかった最期
――最期は一緒に過ごすことができたのでしょうか。
大島 最後は、香川にいた姉と交代で付き添っていましたね。まだ生きているのに「お葬式の準備をしてください」と言われるのが本当に辛くて、頭がおかしくなりそうでした。
亡くなる直前で、急に元気になる時期があったんですよ。静かにしていた母が急に「直也の夕飯作らなきゃ」とシャキッとなって。
でもその翌日に呼吸が荒くなって、姉と僕で母の手を握っていたんですけど、ヘルパーさんが体位変換するからと姉と一緒に廊下に出て。そこに事務所からの電話が入って、ちょっと遅れて部屋に入ったら、姉が「もう息してないの」って教えてくれて。僕らが離れた瞬間、みんながいない瞬間に旅立ちました。きっと亡くなる瞬間を子供たちに見せたくなかったんでしょうね。

