かつて幕末には薩摩藩の行列を横切ったイギリス人が殺害された“生麦事件”の舞台となり、いまはキリンビールの工場があることで知られる生麦の町。その中を通る旧東海道、現在の第一京浜はビール工場の目の前で首都高の高架と交差している。高島線は、第一京浜と首都高の高架の間に挟まるようにそこを通っていた。
ここから先、高島線は第一京浜から運河を挟んだ向かい側の埋立地の上を、首都高と並んで西に向かう。新子安付近で新興線を分けていたのは先日の新興線でも見たとおりだ。いまではバナナ埠頭として知られる出田町の埠頭はかつて石炭を扱い、そこにも線路が分かれていた。レールなどはもう残っていないが、高島線から分かれるカーブの痕跡はいまも見ることができる。
「錆びた廃鉄橋がそのまま残されて…」
さらに先では、瑞穂町・鈴繁町の埋立地に向かう支線も痕跡を残す。埋立地の大半が横浜ノース・ドックという米軍施設になっている。その中にも貨物線は通じていたのだ。米軍物資の輸送などを担っていたのだろう。「関係者以外立入禁止」の標識が掲げられている瑞穂町への橋の脇に、廃鉄橋がほとんどそのままの姿を留めつつ朽ちていた。
出田町埠頭の反対側には、運河を挟んで横浜市の下水処理場がある。そこにはかつて、海神奈川という貨物駅があった。東神奈川~海神奈川間を結ぶ小さな貨物線の終点で、建設したのは横浜鉄道という私鉄だ。税関線や高島線よりも早く、1910年に開業している。八王子と横浜を結ぶ路線、すなわち現在のJR横浜線を開業させたばかりであった。
横浜鉄道の貨物線の目的は、八王子で生産された生糸を横浜に運び、そのまま船に積み込んで輸出すること。その拠点となったのが現在の下水処理場、海神奈川駅だったというわけだ。
「漁村だった時代っぽい風景」
その先でも、高島線は横浜中央卸売市場への支線などを分けていた。中央卸売市場はいまも埋立地に健在だが、造船所などがあった隣接地は「コットンハーバー」という再開発地区に生まれ変わっている。その脇の東高島駅は留置線がいくつかあるだけで、実質的に駅としては機能していないようだ。近くの踏切から見ると、みなとみらいのビル群をバックに、電気機関車がポツンと1両停まっていた。





