高島線は、横浜~横浜港間の税関線から遅れること約10年、大正時代に成立した。それまでは京浜間の寒漁村に過ぎなかった海沿いの町が、次々に現れた埋立地によって工業地帯に変貌していった時期だ。
いまでも現役の貨物線である高島線は、運河沿いや埋立地の工場・倉庫街の中を走る。いまも大型トラックが行き交う武骨な沿線風景だ。対して運河の向こう、第一京浜から入った路地裏には、漁村だった時代の横浜を感じさせるような町並が、いまも残っている。
東高島駅を過ぎた高島線は、帷子川の河口を渡って高島駅跡地のKアリーナ脇で地下に潜り、みなとみらい21地区を抜けてゆく。地上に戻るのは桜木町駅のすぐ手前で、そのまま根岸線に合流する。
山下臨港線「40年前に廃線に…」
再開発される以前のみなとみらい21地区には、三菱造船の工場と高島駅、東横浜駅といった貨物駅が広がっていた。当時はもちろん高島線も地上。地下に潜ったのは再開発が進んだ1997年のことだ。同時に高島駅も廃止され、すでに廃止されていた東横浜駅とともに横浜臨海部の貨物線の存在感は大きく低下していった。
桜木町駅前から続く汽車道は、現役時代には赤レンガ倉庫前からさらに先へと線路を伸ばしていた。
1963年に山下埠頭が完成すると、そこに繋がる貨物線の計画が持ち上がったのだ。ただ、そのルートが山下公園を横切るものだったために反対運動が起こり、完成したのは1965年になってから。
すでに時代はトラック輸送が主流になっていて、結局山下埠頭に続く山下臨港線が全盛期を迎えないままに1986年に廃止されている。
1980年に横浜開港120周年記念列車として蒸気機関車が走ったこと、また1989年の横浜博覧会にあわせて旧東横浜駅跡地の日本丸駅と山下公園を結ぶ列車が運転されたことが、山下臨港線のいちばんの輝きだっただろうか。
そして“みなとみらいエリア”が生まれた
廃止されてから40年、山下臨港線も一部が残っている。






