また、久保が出題した問題には、戦後の新教育カリキュラム(当時の検定教科書)では扱われていない、あるいは教える学年が変更された単元が含まれていた――教えられていないことは、できるわけがない。
「学力低下」を主張したのは、久保だけではない。
経験か、系統か、技能か
社会党支持者を中心とする左派教員の集まりである日本教職員組合(日教組)も『ありのままの日本教育 1950年教育白書』(日本教職員組合出版部、1950年)で独自の学力調査結果を公表した。
東京都内の小・中・高生(約2600人)を対象に国語と算数のテストを行い、ここでも学力の低下があるとされた。
ところがこちらの調査にも問題があった。
実際には、日教組の調査には過去のデータは「なかった」。そのことは調査のなかでも断られている。だが、社会生活が変化しているのだから社会が要求する知識も変わるのであって、かつてと同じことを比較してもしかたがない、今回の調査で測定した程度のことができないのでは問題なのだ――という理屈で、学力低下したことは「確かな判定」だと結論づけた(31ページ)。
つまり、日教組が独自に設定した「このくらいできて当然だろう」という基準と比べて「できていないから学力が低下している」(にちがいない)と決めつけていた。
しかしどんな調査であれ、過去に調査していない場合は比べられない。
日教組は、戦前の軍国主義的な画一教育、教師が自由にものを言えない状況を批判し、お国による教育現場への縛りの強化を警戒・嫌悪していた。ではなぜ日教組はこのとき学力低下論を展開したのか。「学力低下の原因は、教育予算の不足や劣悪な教育環境にある」と、政府・文部省の失政を批判する材料になるからだ。