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教育予算の増額の根拠に
『ありのままの日本教育』を読むと、都市部と農漁村部との成績の格差、教育設備の不十分さ、教育予算の乏しさなどが延々データとともに示されている。日教組が「学力低下は経済の問題に由来する」と主張したかったことは明白である。
「教育環境の貧困が学力の貧困を招いている」と文部省を批判し、過密な学級や校舎不足などの劣悪な教育環境を告発すれば、教育予算の増額を政府に要求できる。
その闘争のためには、根拠が必要だった。だから彼らは「学力が低下している」と主張した。このことは教育社会学者の苅谷剛彦が『教育と平等 大衆教育社会はいかに生成したか』(中央公論新社、2009年)で詳細に検証している。
日教組は『国語の学力調査』(大日本図書、1955年)では、予算や設備問題ではなくカリキュラムにフォーカスした。当時の学習指導要領(試案)に対して「成人生活を営むのに最低必要な力さえつけられないなら、義務教育の目的が果せたとは言われないのである」(5ページ)と「学習指導要領の不合理な点」を批判した(ただし新教育のせいで学力低下が起こったわけではない、としている)。
日教組にとって学力低下論は、予算獲得や文部省の政策批判のための武器だった。
学力低下が事実かどうかの検証自体より、「学力低下を招いている文部省がわるいのだ」として自分たちにプラスに働く変化をもたらすほうが重要だった。
この点では、近年の読解力低下論者が自分たちの商売のために「子どもたちはバカになっている」と煽る構図とあまり変わらない。
もっとも、イデオロギーや予算獲得戦略を抜きにしても、経験学習の実践者たちからも批判があった。
