経験から技能主義へ
戦前から戦後にかけて児童・生徒が自らの生活を題材に実感をつづり、また、さまざまな観点から知識を活用して生活改善に向けた作文を書く運動に、「生活綴方」運動がある。
これは新教育に通ずる、経験学習的なアプローチの典型のひとつと言える。
著名なものでは、山形県山元中学校の青年教師・無着成恭が生徒たちの文集をまとめて出版社が編集のうえ1951年に書籍化された『山びこ学校』がある。同書は映画化されるほど大反響を呼んだ。戦後の生活綴方運動の代表的な成果である。
同書には、中学生たちが村の貧困や組合の問題について理科、社会、数学などを横断的に参照しながら解決策を試案する作文や、生活実感に基づく詩が掲載されている。
しかし、戦前から生活綴方運動に関わり、治安維持法による苛烈な弾圧と投獄を経験した左派の國分一太郎は『国語教育の本質』(明治図書出版、1958年)のなかで戦後のアメリカ式新教育の無批判な全面導入を批判している。國分はむしろ読み書き・計算の力や科学的知識を順序立てて根気よく(系統的に)理解させることの重要性を主張した。
系統主義と経験主義には、両方バランスよくとりくむ必要がある。それはそのとおりだろう。
実際には、教育行政や国語教育学の側も新教育に対する批判を認識し、学習内容の整理・体系化をはかっていた。
1951年(昭和26年)の学習指導要領(試案)では、指導の目安として「国語能力表」が作成された。児童の発達段階に合わせて「聞く」「話す」「読む」「書く(作文)」「書く(書き方)」の領域において、どの学年で何を最低基準として達成すべきかが詳細にリスト化されたのである。
この時期の国語教育に対し、国語学者の時枝誠記は「国語教育は技術教育である」と主張し、経験主義を批判した。こうした言語能力主義の台頭を背景に、中学校の国語教科書を「言語編」と「読物編(文学編)」の二本立てにするような試みもなされ、国語教育はだんだんと技能主義へとかたむいていく。