「鈴香が小さい頃は、良く家族で食べに来たよ。父さんは見栄っ張りでね、景気が良いときはすぐに金を使っちゃうから、金は残らんなかったんじゃないかなぁ、母さんにタコ焼き屋をやらせたりいろいろしてたけど、どれもうまくいかなかったんじゃねぇかなぁ。事件からしばらくして、亡くなって、建てた家にも誰も住んでいねぇって話だよ」

 二ツ井地区の中にある鈴香の実家を訪ねてみた。今では誰も住んでいないという家は、車道から砂利道を入ったススキの生い茂る野原の中にあった。

自宅に足を運ぶと…

 門も塀も無いその家は、建築自体はしっかりとした体裁を持っているが、どこか人の温もりが感じられず、まるで港に置かれているコンテナのようにすら見える。

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 家が人を造るという言葉があるが、この無機的な家は、畠山鈴香の人格形成に少なからず影響を及ぼしたように思えてならなかった。

 鈴香は高校卒業後、この町を出て栃木県鬼怒川温泉へと働きに出る。彼女が働いていたホテルは既にオーナーが変わっていて、名称が変わっていた。

 ただ建物は当時のままで、東武鬼怒川線の鬼怒川温泉駅を下りると、堂々としたその建物が目に入ってくる。ここ鬼怒川温泉で働いた後、ここから川を遡った川治温泉でもコンパニオンとして働いていた。

 残念ながら当時の彼女を知る人はいなかったが、10代後半から20代前半の彼女が、地元を離れひとときの青春時代を送った町である。