同棲十年の良人(夫)を捨てゝ(て) 白蓮女史情人の許に走る
東京驛(駅)に傳(伝)右衛門氏を見送り其(その)後姿を晦ます
その美しさと金の力とから「筑紫の女王」とまでうたわれ、新しい女流歌人としては白蓮女史で通っている伊藤燁子は、過日以来、夫の傳右衛門氏とともに上京。日本橋数寄屋町(現中央区)「島屋旅館」に投宿していたが、20日午前9時30分東京駅発の特急列車で傳右衛門氏を一足先に郷里福岡に送り帰らせるとともに、自分は旅館へも帰らず、どこかへ姿を隠してしまった。この不思議な行動の裏面を各方面にわたって調べてみると、そこには驚くべき近代的戯曲の場景がいたましくも展開していた。
もったいぶったリードだが、特ダネということを意識したのだろう。記事は中見出しを挟んで本文に入る。
年下の法学士と恋に落ちた「筑紫の女王」
惱(悩)みの生に新しく得た愛人 支那浪人滔天氏の息 夫人とは六歳下の法学士宮崎龍介君
歌集『踏絵』や『几帳のかけ』『幻の華』作者として知られる一代の歌人・白蓮女史は、筑紫の国の「女王」として九州・福岡の「炭鉱王」で百万長者の伊藤傳右衛門氏の夫人燁子の名前だ。数百首の歌を通じてほとばしる沈痛哀怨の情緒は、ことごとくこの世の悩ましい「生」への呪詛とも見られるだろう。
久しく求めて得られなかった心の満足と、埋めようとして埋められず胸の奥深くひそめていた心のひらめきは突然、夫人が10年間懊悩(おうのう=深く悩みもだえ苦しむ)に包まれてきた殻を破ってしまった。ついに耐えかねて老いた傳右衛門氏のもとを去り、若い新しい愛人を求めて初めて生の明るさに向かった。
今度の上京は燁子夫人の近親の入江為守子爵が東宮侍従長として渡欧の大任を果たした祝いに来たという。夫人が名も富も憂鬱も捨て、求めて得られた愛の対象は誰か。36歳の自分より6つ年下で、「支那浪人」として聞こえた宮崎滔天氏=市外高田町(現豊島区)=の子息で弁護士、法学士の宮崎龍介君だった。夫人がこう運命づけられるに至ったのは、ただ進むべき当然の道をたどったからだとは夫人自身の言葉だ。
柳原二位局のめいに当たり、幾代もの系統には尊いゆかりの血も流れる名門柳原伯爵家の姫と生まれ、現貴族院議員の当主・義光氏の妹。それは、夫としては老いすぎて無学な傳右衛門氏だとしても、“黄金の国”の豪奢な生活を自分から放棄して、開業早々の貧しい弁護士に熱烈な愛着を傾けたとは、あまりに奇しき運命の綾だった。夫人が突然身を隠したのは、宮崎君との間で了解があるのはもちろんだろう。
「支那」は中国の当時の呼称で、「支那浪人」とは、明治時代から戦前昭和にかけて中国大陸に渡り、政治工作などに関わった民間の日本人。宮崎滔天は熊本県出身で、「中国革命の父」と呼ばれた孫文を支援したことなどで知られる著名な社会活動家。龍介はその長男だった。



