伝説の血判状に書かれていたのは…

 それでも社内改革計画は水面下で着々と進んでいき、83年8月24日に改革メンバーが東京・赤坂プリンスホテルに集合し、決起集会ともいうべきミーティングが行われた。その際、署名と拇印入りの「団結誓約書」が作成されている。いわば“血判状”だ。

 その文言は次のようなものだった。

〈新日本プロレスにおいて我々が望む改革ができた場合も、また新日本プロレスを離脱し新団体を結成する場合、いずれにおいても今後全てに一致団結して対処していくことをここに誓約する。昭和58年8月24日〉

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 ここに署名し拇印を押したのは、レスラー、レフェリー、社員を含めて全18人、そこには長州や藤波の名前もあった。

「あれも気がついたら自分もその中に入っていたという感じですよ。あの中には真剣に、会社をひっくり返して、自分たちが会社を動かすようになろうとしていた人もいたでしょう。でも、俺らレスラーの場合は、会社をよりよくするためっていうことで、そこに乗ってしまっているだけで、自分が会社を動かしたいなんて考えてなかった。

 だから社内改革といっても、トップをすげ替えて、誰を代表や取締役にするかということに対して、自分としてはピンときてなかった。要するに、自分はリング上のメインイベンター、新日本の花形として脚光を浴びることに酔っている頃だからね。

 年齢的、キャリア的には、もしかしたらリング上のメインイベンターというだけじゃなく、会社内での地位みたいなものを考えなきゃいけなかったのかもしれないけれど、そういう考えはなかった。我々選手は会社の運営というのは、その道のプロである背広組に任せていたところがあるからね」

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