日本画家だった父、映画女優だった叔母の影響

 こうした才能には、幼少期に培われたところもあるらしい。東京の下町・日暮里で生まれ育った野沢は、子供の頃にはよく、絵本を前に、人形を主人公に見立てて、声音を変えるなどして一人芝居に興じていたという。

 日本画家だった父・野沢蓼洲(りょうしゅう)の影響も大きいようだ。父が遅くに儲けた子供だったこともあり可愛がられた彼女は、寝物語によく絵本を読んでもらったという。そこで父が強調していたのは、「どんなものにも生命が宿っている」ということだった。

《たとえば松の木を一本描く。その松の枝一本にも、万物生命の運動を感じさせなければ、芸術家ではないというのです。逆にいえば、よくできた絵本の絵は、はたらきかければ動くものだと。/この幼児体験は、私の生きかたを左右したと思います》(『週刊ポスト』前掲号)

 両親は彼女を幼い頃からよく芝居に連れて行ってくれた。また、2歳の頃から叔母の後押しにより映画で子役の仕事をしていたので、早くも小学3年のときには将来は役者になると決めたという。

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  叔母は佐々木清野という元映画女優で、姪の彼女に跡を継がせたかったらしい。子役時代にはラジオドラマにも出演したというから、声優になる以前から声の仕事をしていたことになる。

 戦時中に群馬県に疎開したこともあり、子役の仕事からはいったん離れたが、その後進んだ群馬の中学と高校では演劇部に入った。女子校だった高校では男役として活躍し、ラブレターをもらうこともしばしばだったとか。

父には内緒で劇団入り

 高校時代にはすでにテレビドラマの仕事も始めており、番組のプロデューサーの紹介で、父には内緒で「劇団東芸」に入っていた。本格的に活動を始めたのは、1955年に高校卒業と同時に東京に戻ってからだった。

 父は娘が俳優になることに反対はしなかった。ただ、俳優になりたいなら覚悟を決めて、どんなに大変でもやり遂げるべきだと考えていたようだ。