父がそう打ち明けるあいだ、母は黙って泣いていたが、話が終わると、野沢に「私はあなたを、自分がお腹を痛めて産んだ子供として育ててきたのよ。よその人が産んだ子だと思ったことは一度もないし、これからもずっとそのつもりです」と言ったという(『婦人公論』2008年11月22日号)。それを聞いて野沢は、この人以外に自分の母親はいないと強く思い、生母のこともあえて聞くことはしなかった。

第1子妊娠、医者から忠告され…

 父はその後、76歳で死去する。当時80歳になっていた母も通夜の席で倒れてしまった。その矢先、野沢の妊娠が判明する。

 それ以前より常に仕事に追われる日々が続き、劇団の後輩だった夫の塚田正昭(2014年に74歳で死去)との結婚披露宴も、彼女が一日だけとれた休日に挙げたため、新婚旅行もできなかった。妊娠がわかったあとも仕事を続けていたが、つわりがひどくて満足に食べることもできず、医者からこのままでは母体が持たないと忠告されたほどだった。

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『銀河鉄道999』アフレコ現場での(左)池田昌子さん、野沢雅子さん、肝付兼太さん

「お父様の生まれ変わりだから産みなさい」

 こんなに忙しくて、しかも倒れた母親の面倒まで見なくてはならないとあっては、子供を育てるなどとてもできそうにない……。悩んだ末、思い切って母に相談する。すると母は「その子はお父様の生まれ変わりだから産みなさい。あなたが仕事のときは私が面倒を見ます」ときっぱり言った。

 それからというもの母はみるみるうちに回復し、野沢が女児を出産してからは病気一つせず、本格的に子育てをサポートしてくれたという。そして野沢の娘の成長にともない「幼稚園までは頑張る」「小学校までは頑張らないと」と目標を延長していくことになる。

 しかし、娘が高校生になった頃にはさすがの母も弱音を吐くようになる。野沢は何とか元気づけようと「100歳まで生きると天皇陛下から金杯がいただけるそうよ」と口から出任せを言った。それを聞いて母は「バカを言うんじゃありませんよ。そんなに生きられっこないでしょ」と笑っていたというが、本当にこのあと100歳まで生き、総理大臣から銀杯と祝状が贈られたのだった。