「殺されるかもしれない」母に怪我の原因を知られるのが怖かった
――病院で診てもらったのは、いつ頃だったのでしょうか。
千歳 12、13歳の頃に近所の歯医者さんへ相談しました。それからいくつか病院を紹介されて、最終的には愛知の大学病院まで行きました。CTやレントゲンなどで調べてもらったとき、先生から「5、6歳頃に何か衝撃を受けたのではないか」と言われたんです。それで、あのときの怪我ではないかと、先生にこっそり話しました。
――先生の見解はどうだったんですか。
千歳 「確実にそうだとは言えないけれど、可能性は高い」と言われました。
――お母さんには、そのことを話さなかったんですね。
千歳 はい。母も通院に付き添うことがあったので、母がいないときに先生に話しました。診断書などに書かれたら知られてしまうと思って、母には伝えないようお願いしたんです。
――それほど知られるのが怖かったんですか。
千歳 もしあのときの怪我が原因で私の顔のバランスが崩れたと母が知ったら、私が殺されるかもしれないとまで当時は思っていました。そのくらい、私にとって母は恐怖の対象でした。
麻酔が効きにくい体質で3度の手術…麻痺の後遺症も
――顔の治療はどのように進められたのでしょう。
千歳 成長期に手術するとその後に影響が出るので、少し待って15歳から本格的な治療を始めました。まず歯列矯正をして、親知らずやほかの歯も抜いて、それからアゴや頬の骨を切ってバランスを整える手術を受けました。その次の年には中に入れたネジや板を取る手術も受けて。全部で3回手術して、歯列矯正まで終わったのが22歳のときです。
――手術はかなり大変だったのでは。
千歳 そうですね。麻酔が効きにくい体質で、歯を抜いている途中で目が覚めてしまったこともありました。まだ抜いている途中だったので、びっくりしましたね。
それ以上につらかったのは大きな手術の後です。麻酔から目が覚めると管だらけで、まだ痛みもあって。すごく苦しくて「こんな苦しい思いをして管だらけになるんだったら、なんで5歳のときに死ななかったんだろう」と思いました。
入院中や手術の前は、意外とそこまで後ろ向きではなかったとも思うんです。でも、あの時の苦しさだけは今でも覚えています。「何でこんなことをしなきゃいけないんだろう」という気持ちでした。
――後遺症も残っているそうですね。
千歳 一番大きな2回目の手術では、事前に先生から「後遺症が残るだろう」と言われていたんです。ただ、そのときは麻痺が出なかったんですが、3回目の手術で少し麻痺が残りました。
今でもペットボトルのように口が小さいものなら大丈夫なんですけど、お味噌汁のお椀のような口の広い器から飲むと、うまく飲めずにこぼしてしまうことがあります。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。


