加藤 でも、国に対する信頼の醸成にかかわっているんだから、誰かがやらなきゃならないんです。
上川 私は留学先の米国で上院議員のオフィスに出入りした際、議員立法をサポートするシンクタンクの充実ぶりに目を見張りました。アーカイブスもその一つで、政治家が積極的に発信していくのに、公文書館は不可欠の知のインフラになると考えるようになっていったのです。
福田 トランプ前大統領は機密文書を自宅に持ち帰っていたということで大問題になっていますが、かつて日本ではそれが当たり前でした。私が官房長官を退任する際、官邸の事務職員から、「資料は全部ご自宅に持ち帰ってください」と言われましたよ。総理大臣を辞めた時もそう。外務省の資料などは機密も多いのに、引き取りに来てくれるわけでもない。すべてにおいて、この調子です。
文書は絶対視できない
福田 日本では敗戦直後、各省庁の官僚たちが重要文書を一斉に焼却したことがあります。近年の公文書の廃棄や改ざんと重ねて、日本人には記録軽視の国民性があるのではないかという指摘もあります。
ただ、これは政治指導者の責任逃れが根本原因ではないか。さきほどの東日本大震災時の例が示す通り、不都合な過去を探られては困るという指導者の動機から出たのであって、国民全般が記録軽視というわけではない。むしろ、いろいろな事件が起きたことで、国民が記録の大切さを認識してくれたと思います。
老川 終戦直後、文書を焼却したことが裏目に出て、危うく死刑になりかけた人もいます。戦犯の被疑事実となった会議に参加していないと証明しようにも、全部焼いてしまったから証明できずに苦労したと。やはり文書というのは粗末に扱ってはいけないのです。
福田 役人が自分を守るためにも記録が要るんです。
老川 もっとも、文書に書かれたことが絶対正しいとも限りません。文書ごとに、何らかの目的があって作られていますから。逆にいうと、文書に書いていないから「事実はなかった」と短絡的に結論づけることにも、間違いを犯す危険があります。
例えば、1945年8月14日、終戦詔書を決める御前会議で、昭和天皇は「自分はいかになろうとも、万民の命を助けたい」という発言をしていますが、迫水久常(内閣書記官長)はこの部分だけメモに書き留めなかった。天皇の戦争責任につながりかねないと考えたからです。迫水の記録にないことなどを根拠に「天皇の発言はなかった」と主張する学説もありますが、ほかの文献も重ねて読めば、発言があったのは間違いない。一つの文書で「あった」「なかった」と結論を決めてかかると、歴史の解釈を間違える。複数の文書をクロスさせて検証することが大切です。
※約1万4000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』に掲載されています(福田康夫×上川陽子×老川祥一×鎌田薫×加藤丈夫「公文書を守れ!」)。
この他にも、「福田康夫元首相」の肉声記事を多数掲載
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