――ちなみに、先の宮崎の女性を含め、どうやって交渉するんですか? 大手プロでもなければ、その代表が「ダンシング☆谷村」というあやしすぎる芸名。私たちはダンシングさんがピーキーな存在であることを熟知していますが……。
ダンシング もうね、熱意しかない(笑)。まず、お笑い芸人さんのように、売れるまでバイトをしなければならない世界ではないことを説明する。どんな状態でも芸能の土俵には居られるので、我慢や努力は必要だけれど、芸とは直結しているからと。結局は、先のミラクルしかり、本人のやる気次第ではあるんだけど、やることをしっかりやれば、この世界はやっていけます。
ただ、コロナ禍で引き抜きにあったときに、また一から人を集めて作るのもいいけど、自分自身がかつてお笑い芸人を目指して頑張っていたことを思い出したんですよね。ジンセイプロは、みんなに期待されて、その期待に応えなきゃいけないと思ってやってきたけど、当時、僕は60歳でした。自分がやりたかったこと、その原点ってお笑い芸人だったから、最後にもう一度、そこと向き合ってみたかった。
60歳でタイタンのお笑い養成所に入学「生徒のときはものまねは一切やらない」
――そこにつながると思って、かつてローションプロレスや悪魔ショーをやっていたわけですもんね。
ダンシング それで2022年、60歳のときにタイタンのお笑い養成所に入学したんです。タレントを引き抜いていった奴らを見返してやろうと。社長として器を磨きながら、芸人としても大きくなりたい。「お前ら、俺がこうなるの知らなかったろ」みたいな(笑)。爆笑の太田さんが、昔の仲間だからということで紹介していただいたんですけど、所属は年齢的に難しいと。そのときに光代社長が、お笑い芸人に戻りたいなら、「学校へ行きなさい」と提案してくれた。
僕は5期生として入学したんですけど、冗談抜きで何もかもが洗われた気がしたんですよ。ここにいるときは社長でもなければ、経歴もゼロ。20歳くらいの若い子たちと一緒になって、お笑いと向き合う。ものすごい新鮮だったんです。そのとき決めたことが、生徒のときはものまねは一切やらないということ。やればウケるけど、そこで勝負したくない。結果、ものの見事にスベりました。でも、いいなって。
