広島への原爆投下から81年。焼けた消防車、窓を失った建物、瓦礫の中を歩く人々。記録写真8点をカラー化し、被爆後の街を当時の証言とともにたどる。【本編へ続く】

※本文中では当時の広島の写真をAIでカラー化。81年前の原爆投下直後の広島市内を色とともにたどります。

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 原爆ドームの周囲を埋める瓦礫。「あの広い町が端から端まで一望のうちに見渡せる」。当時50代だったある水道職員は、家々が失われた街を体験記にそう記した。遠くまで見通せる景色そのものが、破壊の大きさを伝えている。

広島への原爆投下後、瓦礫に座る男性。背景には破壊された流川教会が残る 原写真:Harry S. Truman Library & Museum カラー化:文春オンライン

 焼け焦げた消防車の写真は、救援の難しさも考えさせる。14歳で被爆した少女は、自身も負傷しながら、「歩けない友達を担架に乗せて避難しました」と振り返る。助ける人もまた、被爆者だったのだ。

原爆投下後、広島の焼け跡に残された消防車両とみられる車 原写真:U.S. Strategic Bombing Survey / National Archives カラー化:文春オンライン

 街路を歩く人、教会の残骸の前に座る人。生き残ることは、苦しみの終わりではなかった。17歳で被爆した青年は、「原爆症の再発に怯えながら」過ごしたと証言する。写真だけでは見えない、その後の人生がある。

写真は原爆投下から1年後の広島市街(1946年8月5日撮影)。AIを使ってカラー化 ©共同通信社

「もしジャンケンに負けて、学校に残っていたら命はなかったかもしれない――」。原爆の投下時、たまたま広島を離れていた17歳。5日後に広島に戻り、下宿跡で見つけたのは、自分の鉄かぶと一つだった。現在98歳の佐藤圭一さんが証言する命運を分けた夏休みと、広島に残った友人の被爆体験は本編で詳しく語られている。

<本編に続く>

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