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羽生世代にあって若手棋士に足りないものは“精神論”です

羽生世代にあって若手棋士に足りないものは“精神論”です

島朗九段インタビュー #1

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向き合っただけで迫力のある存在は少なく

―― 合理性と精神的な強さは、矛盾するものではないんですね。

 はい。精神的に自分を支えるものというんですかね。それは勉強によって成り立つ部分がほとんどではあるんですけれども、やはり分からない局面が延々と続く時に、致命的なミスをせず、難しい道を選んでいけるのも、心の上に技術があるからです。スポーツ心理学と似ていますね。

 例えば、羽生さんが初めて名人位を獲得したのは、第52期(1994年)の米長邦雄先生からでした。10代の時には大山康晴先生とも盤を挟んでいます。将棋界だけじゃないですけど、最近そういった大御所といいますか、向き合っただけで迫力のある存在は少なくなっています。そうした経験も貴重な財産になったのではないでしょうか。

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心の支えになった羽生さんとの一局

―― 島さんが初代竜王に就かれた直後、師匠の故・高柳敏夫名誉九段が『文藝春秋』1989年5月号に「弟子・島六段のコンピュータ将棋」と題して寄稿しています。米長さんを相手にした4連勝が「新人類による勝利だ」と書かれていて、それまでの棋士と比べてドライであるという印象を受けました。

 なるべく落ち着いた状態で対局に臨んだので、周囲にはそう映ったのかもしれませんね。どんなに強い棋士でも、慌ててしまえばすべての技術は成り立たなくなってしまうのが実戦ですから。

 自分ではあまりドライだという意識はありませんでしたが、ちょうど将棋の変革期にいるんだなという風には思っていました。中原誠先生や米長先生の将棋はストリートファイトみたいで、終盤の迫力は対戦していても怖いくらいでした。一方、羽生さんたちは力や技術では終盤に逆転できない、そんな序盤、中盤の戦い方を編み出していきました。ご存じのように、デビュー当初の羽生さんは逆転勝ちが多かったんですけれども、序盤の技術が完成するにつれて、相手に逆転勝ちを起こさせない、「横綱相撲」へと勝ち方が変わってきました。

 

 棋士という人種は、基本的に仲間のことを褒めません。勝負の世界では自信を持たせることはタブーだからです。でも、私にはそういう考えやトップを狙おうという野心はあまりなくて、純粋に羽生さんたちの活躍に刺激を受けていました。「彼ら3人がA級に入っても、負け越すことはないですよ」と生意気な口をきいて、先輩棋士から「それが真実でも、そんなことは自分がA級に入ってから言え」とたしなめられました。まったくその通りです(笑)。

 私は「初代竜王」という肩書で生涯食べさせてもらっているようなものですから、タイトルを取れたことはもちろん嬉しかったですが、それ以上に挑戦者決定トーナメントで羽生さんに勝てたことが印象的でしたね。入念な準備をして、珍しく作戦も練りに練りました。「羽生さんにはこれを負けたらもう次のチャンスはないな」と思っていましたから。現実に第2期は羽生さんが挑戦者になって、フルセットまで善戦しましたけど負けてしまいましたから(笑)。あれから30年が経ちますが、第1期竜王戦での羽生さんとの勝負は、その後棋士として長く生きることのできた、心の支えとなる一局でした。

 

写真=山元茂樹/文藝春秋

初代竜王・島朗九段が考える「コンピューター将棋」と世代交代〉に続く

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