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終戦、75年目の夏

「日本人は同胞の肉を食べるのか」シベリア抑留者が経験した“人肉事件”の悲しき全貌

「日本人は同胞の肉を食べるのか」シベリア抑留者が経験した“人肉事件”の悲しき全貌

シベリア抑留「夢魔のような記憶」 #2

2020/08/13

source : 文春ムック

genre : ニュース, 社会, 歴史

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解説――謎多きシベリア抑留の実態

 ユーラシア・中央アジアの考古学・文化史研究の先駆者であり、ウズベキスタンのカラ・テパ仏教遺跡発掘の偉業でも知られる筆者の加藤九祚は、戦中学徒動員で出征し関東軍混成第百一連隊、第一方面軍百三十九師団工兵大隊に所属、満州国の敦化(とんか)で終戦を迎えた。その後ソ連軍捕虜となりシベリアに抑留され、本稿に記されたような辛苦を味わい、異様な出来事に遭遇する。

 シベリア抑留を経験した日本人捕虜は約57万5000名にも及ぶといわれ、酷寒と強制労働、そして栄養失調や処刑によって約5万5000名が死亡したと伝えられている。奇聞も多く、ウランバートルの収容所では労働ノルマを果たせなかった日本人抑留者を同じ日本人がリンチし殺害する「暁に祈る事件」が発覚している。そもそもシベリア抑留自体、日本軍上層部が敗戦後の保身のため、満州の将兵を労働力としてソ連に提供したとする密約説もあるほどで、全体像は謎の部分が多い。

 加藤は上智大学文学部在学時にドイツ語を学んだが、抑留生活の中でロシア語を身につける。本稿の終盤に臨時通訳に任ぜられる描写が出てくることから、収容所内でその語学力の評価が高かったことがわかる。昭和25年に帰国した後、加藤は抑留生活で習得したロシア語を生かしシベリアや中央アジアの歴史文献研究に従事、世界的な学術業績を成し遂げる。その意味で本稿は加藤史学のプロローグともいえよう。加藤は著書『シベリアに憑かれた人々』(岩波新書)の後記に、「当時苦しかった捕虜生活が、今では、現在の自分の生活と本質的にちがわないとさえ思われるのは、どのように説明すべきか」と書いている。彼もシベリアに憑かれた1人であった。

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初出:「文藝春秋」昭和45年8月号「君達は同胞の肉を食べるのか」

※掲載された著作について著作権の確認をすべく精力を傾けましたが、どうしても著作権継承者がわからないものがありました。お気づきの方は、編集部にお申し出ください。

 

※『奇聞・太平洋戦争』に掲載された記事中には、今日からすると差別的表現ないしは差別的表現と受け取られかねない箇所がありますが、それは記事当時の社会的、文化的慣習の差別性が反映された表現であり、その時代の表現としてある程度許容せざるを得ないものがあります。太平洋戦争前後の時代性・風潮を理解するのが同書の目的であり、また当時の国際関係、人権意識を学び、今に伝えることも必要だと考えました。さらに、多くの著作者・発言者が故人となっています。読者の皆様が注意深い態度でお読みくださるようお願いする次第です。

「日本人は同胞の肉を食べるのか」シベリア抑留者が経験した“人肉事件”の悲しき全貌

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