韓国発の“シティポップ歌手”として、世界で注目を浴びている日本人女性、YUKIKAこと寺本來可(てらもと・ゆきか)さん(27)をご存じだろうか。
ファースト・アルバム『SOUL LADY』は、リリース直後、米国、英国、カナダ、オーストラリア、フィリピン、ペルー、コロンビア、アルゼンチンなど計8ヶ国のiTunesのK-POPアルバムチャートで1位となる異例の記録を作った。
そんなYUKIKAさんのマネジメント会社「エスティメイト」の社長で、音楽家・ESTi名義で活躍するパク・ジンベ氏(40)。実は、ベテランのゲーム音楽作曲家で、「エスティメイト」はゲーム関連会社であり、YUKIKAさんは氏の会社が初めて契約したアーティストだ。
なぜゲーム会社の社長が、ひとりの日本人女性を“シティポップ・クィーン”として世に送り出すことを決意したのか。その経緯と、日本カルチャーから多大な影響を受けてきた人生について聞いた。(全2回の2回目/前編から続く)
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シティポップは、日本が豊かな時代の音楽
――日本人のYUKIKAこと寺本來可さんが、韓国発の“シティポップ歌手”として話題になっています。“シティポップ・シンガー”としての方向性を定めた背景は。
パク・ジンべ社長(以下パク) 意図的に「シティポップを作ろう」としたのではありませんでした。僕は、シティポップという明確なジャンルは無いと思っています。僕自身が親しんできた、80~90年代に日本で流行した音楽をベースに作って生まれたものが、いまYUKIKAが歌っている音楽です。
とはいえ、韓国では一般的には“シティポップ”と言うほうが馴染みがありますし、シティポップと解釈してもらって問題ありません。
――YUKIKAさんのファースト・アルバム、『SOUL LADY』のコンセプトを教えてください。
パク 日本からソウルへ来た女性が、ソウルでの生活で感じる様々なトキメキを歌にしました。そしてサウンド面ですが、僕がよく記憶している、シティポップと呼ばれるJ-POPたちは、日本が豊かな時代の音楽だったと思います。
当時のJ-POP作家たちが世界水準のサウンドを作ろうとしていたように、いま世界的な音楽水準に肩を並べているK-POPチームで、当時のJ-POP作家たちの思いを想像しながら挑戦したアルバムです。なので、「J-POPをそのままK-POPにしよう」ではなく、当時をリスペクトする思いで作りました。
――出会いのきっかけは、どんなふうに?
パク YUKIKAは以前、日本のゲームシリーズ『アイドルマスター』から派生した韓国のプロジェクト『アイドルマスター.KR』の一員でした。
実は僕、日本のオリジナルゲーム版『アイドルマスター』の作曲に、韓国人で唯一参加していたので、彼女たちのプロジェクトも知っていたのですが、2018年にそのプロジェクトが終わり、YUKIKAが次のステップを模索している時期に出会いました。
まずは試しにゲームの歌をお願いしたら、良かったんです。その後、本格的なソロシンガーとしてデビューさせるべく、わが社で初のアーティストとして契約をしました。