北海道の夏はあっという間だ。お盆が過ぎれば、たとえ気温が上がったとしても、風は軽くなり、空がぐんと高くなる。その時期くらいだっただろうか。「札幌ドームの試合はあと残り何試合です」と番組でカウントダウンをするようになった。いつからと決めていたわけでもなく、誰かに言われたわけでもなく、自然と自分の口から出るようになった。実感はまだわいていなかったけれど、必ず来る別れの秋の準備を始めていた。
2022年9月28日、最後の札幌ドーム
ファイターズが北海道のチームになって19年。2004年から本拠地としてきた札幌ドームから離れ、来季からは北広島市の新球場がホームになる。建設中のエスコンフィールドHOKKAIDOは完成まで秒読み。開閉式の屋根、天然芝のグラウンド、オフィス、各施設……毎日のように新球場に関するリリースがチームから届く。
私は毎日HBCラジオ「ファイターズDEナイト!!」でファイターズに関する情報を伝えている。今シーズン、マイクに向かう時に心掛けていたことがある。「札幌ドームと別れる寂しさ」と「新球場への膨らむ期待」、そのちょうど真ん中にいよう、と。一方に偏らないようにしよう、と。もっとわかりやすく言えば、札幌ドームへの惜別を出し過ぎないようにしよう、と。
ラジオのスタジオから何度も呼びかけた放送席。取材にもたくさん通った。優勝の祝勝会のビールかけも札幌ドームの地下で行われた。びしょ濡れになって中継を担当した。休みの日でも試合があれば応援に行った。思い出はいくらだって溢れ出てくる。話そうと思えばいくらだって話せる。だから気を付けた。でも残り試合の数字が減るにつれ、それはうまくいかなくなった。とにかく寂しいのだ。
その数字が「1」となる特別な日の番組は札幌ドームから放送することになった。2022年9月28日、私は最後の札幌ドームへ向かった。
札幌ドームの放送席は個室ではなく客席スタンドと一体型で開放されているので、各局で解説者やアナウンサーが誰が来ているのかがすぐにわかる。あの日、続々とやって来る解説者の豪華さに私はクラクラするほどだった。すぐそばに、岩本勉さん、建山義紀さん、森本稀哲さん、田中賢介さん、鶴岡慎也さん。レジェンドたちがずらりと顔を揃える。選手として解説者として札幌ドームの19年間を過ごした皆さんだ。
頭の中に浮かんでくる様々な外国人選手
最後の先発には上沢投手が抜擢された。高卒11年目、チームを支えるエース、誰もが納得する人選だった。札幌ドームに何度も響いた登場曲と共にマウンドへ。マリーンズからの先制点は上沢投手と同期の近藤選手のホームランだった。しかし、4回表、先頭打者のホームランから崩れ、ノーアウトで6失点してしまう上沢投手。何とか立てなおし、最後、3アウト目はレフト近藤選手が地面すれすれの打球を処理する。抜けていれば長打だった。守備で同期を助ける姿にぐっと来る。
その日のスタメン・王選手の応援歌が札幌ドームで流れたのは久々だった。なかなかうまくいかなかった王選手の今シーズン。それを聴きながら、様々な外国人選手が頭の中に浮かんでくる。
2006年、1年しかいなかったマシーアス選手が私は好きだった。きっとマシーアス選手も私が好きだった。あの年、1位通過、プレーオフ制覇でリーグ優勝、日本一と3回行われたビールかけで私たちはいつも抱き合った。
セギノール選手はユニフォーム姿はもちろんだけど、移動の時のスーツ姿がかっこよくて画像を携帯の待ち受けにした。グリン投手はイライラする姿がすぐに頭に浮かぶけど、息子のカイルくんがとっても可愛らしかった。ホフパワー選手の笑顔はすぐに思い出せる。スレッジ選手も素敵な選手だった。マルティネス投手はジェントルマンだった。
王選手とも話してみたい。コロナ流行後、選手の取材は気軽なものではなくなった。思いを巡らせている間に王選手は長打を放っていた、これが4月2日以来今季2本目のヒット。来年の契約はどうなるだろう。満員のドームの拍手にファンの思いが乗っているように感じた。