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「二塁打」でも「ダブル」でもない なぜ「ツーベース」と言いたくなるのか

藤島大が『止めたバットでツーベース』(村瀬秀信 著)を読む

2019/01/27
『止めたバットでツーベース』(村瀬秀信 著)

 ツーベース。日本列島でいっぺんでも野球をしたり見た者にとっては記憶の言い回しだ。「二塁打」ではいけない。米国流の「ダブル」とも違う。子どものころ、みんなが公園や校庭で叫んだツーベース。トゥーでなくツー。書名の由来は「あとがき」に紹介されているが、ともかく、ここに著者の「俗」と離れぬスタイルは表れている。

 熱烈なるベイスターズ党でも知られるライターの「野球短編自撰集」。ひょいと引退の川﨑宗則、東京は巣鴨のスワローズびいきの弁当屋、鈴木誠也にカープ坊主など有名無名が登場の全十九篇には、技術論も、戦評も、ヒーローやスターへの追随もない。強くて弱く、優れているのに愚か、純情にして狷介(けんかい)、幼いころからツーベースに胸躍らせてきた人間たちがひたすら描かれる。

「結局スポーツはさ、体に悪いんだよな」

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 必読の第一章の名言だ。

 このとき八十四歳、近藤唯之が自宅で語った。

 かつて旺盛なる筆力で、プロ野球人情物ともサラリーマン物とも称される膨大な作品群を世に出した。

 なんと「榎本喜八へのたった一度だけのインタビューで全五十四回の連載を作ってしまった」。おそるべきモットーは「一行百行」。資料に拾った短いセンテンスをきっかけに延々とペンを走らせる。

 得意のフレーズは「男の運命」に「血の小便」であある。ためらいもなく倉庫に取り置いた常套句を繰り出す。浪曲よろしく原稿用紙に情と義理の節をうなってみせた。

 そんな仕事の姿勢は事実確認のあやうさへの批判も招いた。本当に選手に話を聞いているのか。同業どころか新聞社の同僚からも冷たい声はしきりだった。