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インフルエンザ40度超えの病床で考えた「安心して病気にかかる社会」

私の怠惰な知性を正面から打ち砕くような高熱デイズでした

2019/02/15
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控えめに言って最高じゃないですか

 やっぱ連日高熱で寝込んでいると、自分はこのまま死んじゃうんじゃないか、消えてしまうのかって心細くなるわけですよ。いま「お前なんか死んじゃえばいいのに」と思った読者に呪いあれ。でも子どもたちにも移って、赤い顔して寝ているのを見ると、いまでこそこういう病気でそれほど多くの人が死ななくはなったけど、それでも一つ間違えば脳症を起こして後遺症が出たり、場合によっては本当に死んでしまうことだってあり得る。

「安心して病気にかかる」というのは比喩として自己矛盾はしているわけですけど、それでも死の不安と隣り合わせにならずに落ち着いて養生できるというのは現代の医学や公衆衛生の勝利だと思うんですわ。それも、多くの犠牲と無念と努力があって乗り越えてきたもので、その結果として多くの命が救われている。そして、具合が悪いとなれば医者にかかれる、欲しければ薬が貰える……。これだって、控えめに言って最高じゃないですか。

©iStock.com

平然と「うちはワクチンを打たせない主義だから」

 ただまあ、誰もが医者にすぐかかれる時代がどのくらい続けられるんだろうか、いつでも薬が飲めるのはいつまでだろうかって思いももたげてくるわけです。私がこの子たちを育てている間はどうにか大丈夫でも、その次の世代にまで、何かあったときに家内が奔走すれば病院に連れて行って診察を受けさせてやれる、といういまの「当たり前」が当たり前であり続けることができるのかどうか。

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 幼稚園・保育園や学童で、子どものインフルエンザが治りきっていないのに親の仕事の都合で登園させられ、結果としてウイルスを撒き散らかして他の子どもたちにインフルエンザを移してしまい蔓延する、ということが繰り返されている話も聞くとなお、良い「当たり前」を時代を超えて引き継いでいくむつかしさみたいなものを感じてしまうのであります。

 安い値段でワクチンが打てるのに面倒だからと打たせない親がいるばかりか、親同士のチャットで平然と「うちはワクチンを打たせない主義だから」と書いている母親を見つけるたびに、直メッセージで「ババアいい加減にしろよ。ワクチン打ってなくて子どもがインフル罹ったらお前の家は虐待だからな」と素敵な内容を送ったりもしておりました。もちろん高熱の朦朧とした中で「おかしいな、ワクチン打ったんだけどな」と半分訝しみながら。

インフルエンザ40度超えの病床で考えた「安心して病気にかかる社会」

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