1ページ目から読む
2/3ページ目

「将棋界の一番長い日」の定着

 ところで、A級順位戦最終戦が「一番長い日」と呼ばれたのはいつからだろう。「将棋マガジン」1980年6月号で川口篤氏(故・河口俊彦八段のペンネーム)が「将棋歳時記の中でもっとも長い日」と書いている。ただし、これは同日に行われた他の順位戦の対局も含めたもので、A級順位戦だけを示したものではない。

 筆者が調べた範囲では、対局の様子を特集した1982年3月16日の毎日新聞夕刊「“将棋指し”の一番長い日」が初出のようである。翌年の1983年3月15日毎日新聞夕刊には「将棋界“A級棋士”の一年で最も長い一日」と記されている。余談だが、1983年のときは特別に大盤解説会が開かれ、超満員の大入りになった。ファンの注目度が高まり、好評だったことからA級最終戦の解説会が定着。現在では最終戦だけでなく、その手前(ラス前と呼ばれる)の対局でも大盤解説会が開かれている。

「“将棋指し”の一番長い日」について伝える1982年3月16日の毎日新聞夕刊

 話を戻し、「一番長い日」について、専門誌も見たが「棋士の一番長い日」「将棋連盟の一番長い日」「大みそか」などと表現が一定しない。「将棋界で一番長い日」というフレーズは、1997年3月に初めて放送されたNHKのBS中継のタイトルに使われたことで定着したと考えられる。前年に羽生七冠王の誕生、将棋を取り上げた朝ドラ『ふたりっ子』が放送されるなど、世間の注目度が高まっていたころだった。密室での戦いが公開され、迫力ある対局が全国各地で観戦できるようになったことは好評を博した。

ADVERTISEMENT

谷川は名人戦登場をかけて和服で対局

 1997年は、7年ぶりの名人戦登場を目指す谷川浩司竜王(当時)だけでなく、対戦相手の米長邦雄九段までも和服で対局した。タイトル戦以外では異例の光景だ。現在、棋界に深く浸透している「自分にたいした影響はなくとも、相手に重要な意味のある勝負に全力を尽くす」という「米長哲学」の表れだった。

 また、小説や映画『聖の青春』で知られる村山聖八段がA級から陥落。結果的にこの日が村山にとって、A級順位戦での最後の対局となった。なお、当時の名人やA級棋士で、現在もA級に在籍しているのは、羽生と佐藤康光九段のみである。

20年以上もA級順位戦に在籍している羽生と佐藤 ©文藝春秋

 NHKのBS放送は2012年まで続き、現在はニコニコ生放送、AbemaTVによるネットでの動画配信がなされている。

昨年は史上初の6人プレーオフに

 今期A級順位戦の最終9回戦は、3月1日に静岡市「浮月楼」で一斉に行われる。静岡でのA級最終戦開催は、2014年3月に「名人戦第0局」と銘打って行われたのが始まり。今回で2年連続3回目となる。

 昨年は6勝4敗の棋士が6人並び、史上初の6人プレーオフとなった。各対戦の勝敗を単純に50%とした場合、最終戦の結果で6人プレーオフになる可能性は、わずか6.25%(16分の1)の確率だった。何が起きてもおかしくない。それが勝負の世界だ。