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20歳で鹿島の10番 安部裕葵が明かす「ジーコさんに肩を叩かれたあの日」

鹿島アントラーズ・安部裕葵選手インタビュー#1

2019/03/08

もともと自分なんて、まったく実力のない選手でしたから

――頭の中の大半は、サッカーのこと?

「サッカー……いや、何も考えてないですけど、向上心はあると思います。まあ、自分のことしか考えてないですね(笑)」

――「自分のことしか考えていない」と聞いたばかりですが、あえて聞きます。今年1月のアジアカップには同級生の堂安律選手(フローニンゲン)、冨安健洋選手(シント=トロイデンVV)が出場しました。日本代表として戦う同級生を見て、メラメラと燃えるものがありました? 俺も負けてないぞと。

「いや、何も思わないですよ。だって、もともと自分なんて、まったく実力のない選手でしたから」

 

――彼らふたりは、ガンバ大阪、アビスパ福岡というJクラブのアカデミー出身で、いわばエリートでした。

「逆に僕は、追い越す側の人間なので。これまでも自分の前にはいつも人がいて、それをどんどん追い越してきた。だから今、自分の前に人がいても、なんとも思わない。マラソンにたとえるなら、周りは気にせず、自分のペースで走り続けてベストを尽くせば、自然と追い抜いていける、そんな感じですね」

――なるほど。安部選手自身は何も思っていないんでしょうけれど、高校時代までほとんど無名だったのに、鹿島から声が掛かり、今ではU-19代表でも鹿島でも10番を背負うまでになった。傍から見ていると、痛快です。

「それ、よく言われます。僕のように小学生時代、中学生時代に大して力のない子って、たくさんいると思うんですよ。僕が活躍することで、そういう子に良い影響を与えられたらいいですね。自分自身で考えてベストを尽くせば、必ずうまくなれるって」

 

(#2に続く)
写真=末永裕樹/文藝春秋

◆#2 逆算する20歳 安部裕葵に聞く「無名の高校生がJリーグイチの若手になれた理由」
https://bunshun.jp/articles/-/10999

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