佐々木 2000年代に入って、自己啓発本が流行ったじゃないですか。あれは一つの反映なのかなって思うんです。「こうなりたい」っていう。非正規雇用が増えて、終身雇用も安定しなくて、そういう状況の中でどう生きていくかってときに「地道なことやってても沈んでいくだけだよね」みたいな焦りがあって、ジャングルを生き抜く世界になって、そんな状況で「教養がどうした」とか言っても全然耳に入ってこない。「ここで一発逆転して、この道で生きていく、ブログ一本で生きていく!」みたいなね。
吉川 何か最近どこかで聞いた気がしますね、そういう話。
「健全な生活」をすること自体がとても難しい
佐々木 そういう風に極端になっちゃうところが、文化的貧困なんじゃないかなって。僕がずっと言ってるのが、「不安定な時代に、何を軸にするのかをもう一度考えないといけない」ということなんですけど。自分の仕事を軸にするというのは今までもみんなやってきたことですが、その仕事がなくなる可能性があるでしょう。クビになったり、倒産したり。それ一本だけを背負ってくのはリスクがあるから、「もっと分散すればいいよね」って思うんです。でも分散すると、今度は「自分は社会のどこに繋がってくのか」っていう当てのなさがどんどん広がって、「俺って何やって生きてるんだろう」と不安になってしまう。
吉川 どこが自分の軸なのか分からなくなりますもんね。
佐々木 そう。じゃあ何が必要になってくるかというと、「暮らし」だよねっていう。日常的にきちんと生活をして、コンビニ弁当とかじゃなくて、ちゃんとご飯を炊いて、7時間寝て、近くの公園でランニングして、お金をかけなくても健全な生活をすることが軸になっていけば、そんなに不安を感じることもなくなるんじゃないかって。健全な生活をしていれば、見た目は気持ち悪くならないから、人間関係がゆるやかに回復していくんじゃないかって思うんですよね。
吉川 でもね、その「健全な生活」をすること自体がとても難しい人もいるんです。私がまさに今そうですけど、健全な生活をするまでに、越えなければならないハードルがすごく多くて。
私は実家が貧困で、兄の家庭内暴力がひどくて、父親は家族に関わろうとしなくて仕事もすぐに辞めてしまって、母親も毎日布団にくるまって泣きながら「死にたい、死にたい」と言ってるような機能不全家族の中で育ったんですけど、もう家族全員が精神的に不安定なんです。お金がないと本当に人は荒んでいくもので、家は色んなものが壊されて荒れてるわ、お金をせびられて出すお金がないと殴られるわ、でも逃げる場所もないという地獄の中で育つと、もう死ぬことしか頭にない時期があるんですよね。
佐々木 うんうん。
吉川 「何も考えられないし、ここから逃げたい」。そういう風に精神が参っているときに、果たしてランニングができるのか、っていう問題があって。早起きもできないし、お米も炊けないし、何もできない。でも、世間ではそういう人たちがいることを知らない人の方が多いと思います。
〈「貧困をバネに成功した」事例をロールモデルにしないために〉に続く
写真=釜谷洋史/文藝春秋