ネット空間にいると、人は驚くほどわがまま
おぐら あと、普段は「インターフェースが使いづらい」とかってテクノロジーに文句を言っているような人が、一方では昭和のノスタルジーにうっとりしたり、「旅は思い通りにならないところがいいんだよ」とか言っていて、ダブルスタンダードが甚だしい場合があります。
マキタ ネット空間にいると、人は驚くほどわがままになるんだよね。
おぐら テクノロジーの分野においては、際限なく合理化や利便性を追求しちゃいますからね。
マキタ 昭和から平成になって何が変わったかって、考えるべきことが増えたってことだと俺は思っているんだけど、それはニーズが上限に達して、最低限の悩みが解消されて以降の悩みなんだと思う。
おぐら それは経済成長も含めて、の話ですね。
マキタ もちろん今でも必要最低限のニーズすら満たされていない人たちがいるのはわかっているけど、基本的には社会インフラも整って、コンテンツも充実して、かつてのように全体が飢えている時代ではなくなった。
おぐら 否応無く家業を継いだりとか、断る選択肢のないお見合い結婚とかはだいぶなくなりました。
マキタ そこまで満たされてようやく初めてジェンダーの問題とかを考えるようになった。昭和までは十進数で物事を考えていたのが、今はもう1の中でやっているような感覚。すごく神経質になっているのは間違いない。
おぐら 小数点以下の問題をみんなで考えていると。
マキタ 金さえもらえりゃ仕事なんて何でもいい、腹いっぱいになれば何でも食う、そういう時代じゃないでしょう。
おぐら 今の人が求めているのは、快適で不正のない職場環境と、健康に気を遣った食事です。
マキタ ただ、自分が世の中にそれだけ神経質になっているということは、一方で自分も同等のことを世に提供しなきゃいけないってことだから。はっきり言って、生きづらいですよ。
おぐら 客でいるときには「店のルールなんて知らん」とかって完璧なサービスを求めるくせに、会社員としての自分は社内のルールに縛られまくって「それは前例がないから無理だ」とか平気で言っちゃうような。
マキタ 現状そんな人ばっかりなんだよ。それでも時代の要請を引き受けて生きていかなくちゃいけないわけで、そのために俺が実践している越境性であるとか、感受性の角度を変えてみるとか、生き方や価値観を変えていかざるをえないんだよね。
(#5に続く)
写真=文藝春秋/釜谷洋史