「僕の仕事って誰でもできるんだな」
一方で、クロスフィットに打ち込めば打ち込むほどに、ビジネスとの兼ね合いに限界を感じることも事実だった。
日本でトップ争いをする選手は、ほとんどが自分のジムを経営していたり、トレーナーとして働いていたり、トレーニングに十分な時間を割ける面々だった。彼らに負けじと朝の1時間で追い込もうとすればするほど、故障が増え、思うようなパフォーマンスが出せなくなっていった。
「この頃思うようになったのが『いまの僕の仕事って誰でもできるんだな』ということでした。誰でもできるというと語弊があるけれど、替えがきくというんですかね。自分じゃなくてもできる。ちょっと英語が話せて、エクセルに触れて、計算できればいい。あとは商社時代に周りを見ていて、なんとなく『自分の人生の先が見えているな』と思ってしまった。僕は多分、60歳まで生きたらこういう風になるんだろうな、と。お金は良いし、良い生活もできているだろう。でも、何かそれじゃあ面白くないなと」
加えて、加齢についての焦りも生まれてきていたという。
「30歳も超えて、競技者として戦える時間がどんどん少なくなっているなというのは感じていて。サラリーマンをやりながらなんとなくやり続けるのか。それとも一旦そっちは辞めて、真剣にやってみるか……。そんなことを考えていたら、1回きりの人生なので、後悔する前に勝負したいという気持ちがどんどん強くなっていったんです」
「やりたいことをやったほうが人生面白いかなと」
そして、板谷はついに決断を下す。
2018年、34歳の時に会社を辞め、クロスフィットのトレーナーとして生きていく道を選んだのだ。
皆が羨むようなエリート街道を捨てるのは、勇気のいることだったのではないか。
「あまりそういう怖さはなかったです。いまよく考えると、なんでなのかな……。多分ですけど、商社時代にある程度、お金を使った生活をしたから、お金で買える幸せはある程度見えてしまった。そのせいもあって、ある意味で収入へのこだわりが薄くなったのが大きかったのかもしれません。ほとんどの人がチャレンジを踏みとどまるのは、待遇面でのリスクを恐れるからだと思うので。今は商社時代から考えれば年収は激減しましたけど、生活はできる。だったらやりたいことをやったほうが人生面白いかなと」
一度きりの人生ですから、やりたいことをやることが、やっぱり大切なんですね――。
そんなステレオタイプな結論をぶつけると、板谷は苦笑して、この日初めて首を横に振った。
「それは人の性格や価値観もあるから、一言で『チャレンジするのが良い人生』ということではないと思います。いろんな考え方がありますし、普通にサラリーマンをやっていた方が幸せな方ももちろんいます。クロスフィットだって、僕みたいに競技として追い込んでやっているのは全体の1割くらいでしょう。それ以外の人たちは趣味やエクササイズとしてクロスフィットを楽しんでいるわけで、そっちの方が圧倒的に多数派ですからね(笑)。逆に言えば、そういう多様な価値観を知れるというのもクロスフィットの魅力かもしれません。ジムに行けば色んなバックボーンの人に会えますからね」