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私たちは「有益じゃないと意味がない」という思い込みから逃れられるのか

臨床心理学者・東畑開人×歴史学者・與那覇潤対談 #2

責任回避の思想が行き着くところ

與那覇 ありがとうございます。いわば自分の本は、組織としての大学のダメさとデイケアのよさと、双方を対照して書かれているんですね(苦笑)。

 僕が体験した大学の病理がどこから来ていたかというと、仰るような責任回避の思想です。個人でリスクを取らない面々が、「これは私の意思ではなく、教授会の総意です」という形で責任の所在をロンダリングする結果、みんなが組織に従属させられてしまう。「人民の意思」の名の下でかえって、人びとが不自由になっていった共産主義と同じです。

 これはなにかおかしい、どこかが間違っている……と思っているうちに病気になったのだけど、デイケアで回復していく過程でやっと、似て異なる別のモデルを見つけることができたんですね。

円環的な時間の大切さと「つらさ」

東畑 ここまで円環的な時間の大切さを語ってきましたが、同時にそこには「つらさ」もあります。というのも、円環的時間がそもそもどこにあったかというと、たとえば村社会にあったわけです。春が来て、夏が来て、季節がグルグル回って、親父のやったことを息子へと同じように引き継いでいくという世界です。

 それは端的に不自由なものです、やることが決められているわけですから。そしてそういうものが嫌で、僕らは直線的時間に乗り出したはずーー。

與那覇 それが近代化のプロセスですよね。円環的な時間が取扱注意でもあるのは、ある居場所を持ち上げすぎると「この場所だけが素晴らしく、他所のやつらはニセモノ」という発想につながることです。それは封建的な集落や、カルトと変わらない。

 ご著書の最後にブラックデイケアの事例が出てきますが、あれは「おまえが生きていけるのはこの場所だけだ」と患者さんに刷り込んで支配しているわけですね。大学や学界にも、誰それ先生の学統を引くこの研究室の者だけが真の何々学者だ、みたいなプチ・カルトは結構あります。

©山元茂樹/文藝春秋

與那覇 僕が学者時代にやっていたのって、ほぼすべてがそうした「円環的時間との戦い」だったんですよ(笑)。歴史家としてはやはり、たとえば織田信長が「中世から近世へ、やがては近代へ」という直線的な時間軸の上で果たした役割を教えたい。しかし多くの歴史ファンはそんなことより、あたかも信長と顔見知りの「同時代人」になった気持ちにさせる体験を求めている。だから、読めなくても古文書に(物理的に)触っている方が幸せだし……。