「別に反知性主義で世界が滅ぶわけじゃない」
與那覇 最近、そこは割り切ることにしたんです。大学勤めの最後のころは本当に不幸で、自分をまるでラス・カサス(スペインの植民地統治に抵抗した司教)とかの「良心的な宣教師」のように感じていました(笑)。「直線的な時間軸をもって、歴史の流れの中で物事を見れるようになってくれ!そうじゃないから搾取されるんだ」とかお説教するんだけど、別に円環的な神話でいいやと思ってる現地人(学生)には相手にされない、みたいな。
ところが、村松剛が古代以来の宗教的な死生観をたどった『死の日本文学史』を読んで、憑き物が落ちたんです。鎌倉新仏教の開祖のひとりに、浄土真宗の親鸞の師匠にあたる法然がいますね。彼は念仏さえ唱えればそれで救われる(専修念仏)という、いわば「オーラでうつは吹き飛ぶ」級にシンプルな「野の仏教」を始めたわけですが、しかし本人はもともと比叡山で修業し大蔵経を読破して、今風にいえば「アカデミックな教え」を究めた人だった。
そんな人が「いや、こんな勉強は全員ができるものじゃない。これでは世の中を救えない」と思わざるを得ない状況が、末法の世として広がっていたんですね。そうして始めた宗派(浄土宗)が今日まで伝わったから、後から法然は偉い人だと言われているだけで、当時はぜったい有象無象のカルトが他にいっぱいあって、彼も同類だと見なされたわけでしょう。
自分が信じるところだけを説いて暮らして、それを評価する人たちが語り継いでくれて、決着がつくのは遠い未来でいいんじゃないか。現在は「西洋近代」への信仰が薄れた結果、久々に「末法の世」がむき出しになった時代というだけで、別に反知性主義で世界が滅ぶわけじゃない。歴史上何度も見てきた景色で、この世の終わりでもなんでもないんですよ。
東畑 なんと!スケールが超大きい。そう言われると、僕も「そんなもんかぁ」という気持ちになってきました(笑)。心理学ではなく、歴史学こそ、末法の世には最強ですね。本日は、本当にありがとうございました。
東畑 開人(とうはた・かいと) 1983年生まれ。
京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。
沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、2014年より十文字学園女子大学専任講師。2017年に白金高輪カウンセリングルームを開業。臨床心理学が専門で、関心は精神分析・医療人類学。
著書に、『美と深層心理学』(京都大学学術出版会)、『野の医者は笑う』(誠信書房)、『日本のありふれた心理療法』(誠信書房)がある。今作『居るのはつらいよ』(医学書院)は、ケアとセラピーについて考え抜かれた思想書である同時に、沖縄のデイケアで出会った人々との涙あり笑いありの友情物語となっている。
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與那覇 潤(よなは・じゅん) 1979年生まれ。
東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程を経て、2007年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとる。博士(学術)。
専門は日本近代史。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。その他の著作に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)など。昨年、自らのうつ体験と平成史を絡めて綴った『知性は死なない――平成の鬱をこえて』(文藝春秋)は、「知性」のあり方に新しい光を当てた書として大きな反響を呼んだ。