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私はこうして佐藤天彦名人の「カレー定跡」と「おやつ」の本質に近づいた

私はこうして佐藤天彦名人の「カレー定跡」と「おやつ」の本質に近づいた

芥川賞作家・高橋弘希による名人戦「盤外レポート」

2019/04/12

そのとき、高橋に電流走る

 椿山荘のショートケーキは、羽生氏、森内氏、渡辺氏と、数々の名だたる棋士に愛され、佐藤名人も、昨年の名人戦2日目にショートケーキを食している。また資料を子細に分析すると、佐藤氏はチョコレートケーキを頼む比率も非常に高い。本日もいずれかのケーキを頼むはずである。しかしペストリー&チーズショップのケーキは大変な人気で、昼前には売り切れることもざらだ。よって早朝に購入し、宿泊部屋にて食す必要があると、私は判断したのだ。

午前9時、対局が始まった

 部屋へと戻った私は、紅茶を準備し、さっそくショートケーキとチョコレートケーキを順番に頬ばった。そのとき、高橋に電流走る。以下、私の脳内を描写する。

 ――まずこのショートケーキは、生クリームとスポンジが交互に重なる四層構造なのだが、中段の生クリーム層にかなりの厚みがある。生クリームとスポンジの比率が、一対一かと思うほどだ。このたっぷりの生クリームは、決して甘さ控えめではないが、やわらかなスポンジと、大きめにカットした苺の甘酸っぱさと合いなり、結果として口当たりは軽い。生クリーム、スポンジ、苺が、さながら将棋の駒のように、互いの長所を活かし、短所を補い、渾然一体となって舌の上に広がる。ショートケーキは非常にシンプルな構造ゆえに、ごまかしが効かない。洋菓子店の味がストレートに出る。その店の味を知りたければショートケーキを頼め、と某著名人は口にしている。その著名人とは誰か? 私である。そう、私はよく廃人扱いされるが、ただの廃人ではなく、著名な廃人なのである。

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つまりは序盤、中盤、終盤と隙がない

 ――そしてチョコレートケーキは、私の味覚が確かならば、チョコレート、ガナッシュ、モカクリーム、チョコスポンジと多層構造になっており、チョコレートの層はビターだが、クリームの層は甘く、全体として均衡が取れている。均衡が取れているが故に、一口目から最後の一口まで、つまりは序盤、中盤、終盤と隙がない。私は数々の棋士に愛された、本店のケーキの本質に近づきつつあった。そう、本店のケーキは、確かに甘いのだが、その甘さに重力がない。疲れた身体に甘さが心地良く、なおかつ身体に負担がかからない、まさに勝負の最中には最適のおやつである。

ペストリー&チーズショップのチョコレートケーキ

 ――間食にケーキという戦術は、私も見習わなければならない。〆切に追われたとき、原稿がちっとも進まないとき、私は食欲もなく、はいはい、脳には糖さえ摂ればいいんでしょ、と、ガムシロップを舐めていた時期すらあるが、よくよく考えると、それではカブトムシと変わらぬではないか、昆虫ではなく人間に生まれたのだから、私もこれからはガムシロップではなく、ケーキで糖を摂取しなければならない。(以上約2秒)