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私はこうして佐藤天彦名人の「カレー定跡」と「おやつ」の本質に近づいた

私はこうして佐藤天彦名人の「カレー定跡」と「おやつ」の本質に近づいた

芥川賞作家・高橋弘希による名人戦「盤外レポート」

2019/04/12
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棋界にはカレー定跡というものが存在する

 こうして瞬く間に二つのケーキを完食した私は、しばし室内で感電の余韻に浸ったのちに、再び部屋を出て徘徊を始めた。徘徊の末に、椿山荘3階にある、レストラン・ザ・ビストロへと辿り着いた。名人戦の昼食を提供する名店である。現時点で、佐藤名人が昼食に何を注文するかは分からない。しかし私には確信に近い予測があった。名人が注文するのは、カレーである。棋界にはカレー定跡というものが存在し、カレーを頼むと勝率がすこぶるいい。佐藤名人も昨年の名人戦で、昼食にビーフカレーを頼んでいる。そしてこの日、名人は序盤から攻めの将棋を見せており、ここにきてカレー定跡を外す選択は、初手端歩くらいに考えられない。

 して、私はレストラン・ザ・ビストロにて、“特製ビーフカレー”を注文した。私はスプーンの上に、ライスとルーとビーフをのせ、一口ほおばる。そのとき、高橋に電流走る。以下、再び私の脳内を描写する。

特製ビーフカレー

 ――やや辛口のカレーだが、その辛さに奥行きがある、辛さの奥に甘味を感じる。私の味覚が確かならば、林檎、あるいは南国系の果物、例えばパイナップルやマンゴーで隠し味をつけているやもしれぬ。そして特筆すべきは牛肉のやわらかさである。ルーと脂身が一緒くたになり、殆ど舌の上で溶ける。使用されている肉は肩ロースだろうか、赤ワインの香りを非常に遠くで感じる。おそらく肉を鍋で炒める際に、上等のワインで香りづけをしているはずだ。しかしてカレールーのこのまろやかさは如何に、調理の後半で、フォンドボー、あるいはブイヨンを足しているのだろうか――、ライスはやや硬めに炊いてあり、カレーとの相性がよく、付け合わせのナッツ、ピクルス、干し葡萄も、箸休めとして丁度よい。そして私はカレー定跡の本質に近づきつつあった。

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食欲を増進させ、脳まで活性化してくれる

 ――緊迫した勝負の最中では、なかなか食欲もわかない。しかし名人戦は長期戦ゆえに、食べなければ身体が保たない。夏場で食欲がないときでも、カレーならば食べられた、そんな経験は諸君にもあるだろう。これには理由がある。カレーに使用されるスパイス、クミンやコリアンダーには食欲増進や消化促進の効果がある。また、ターメリックには脳機能を活性化させるという研究結果もある。となれば、棋士の昼食にカレーは最適である。食欲を増進させ、脳まで活性化してくれるのだ。カレー定跡ができあがるのも頷ける。