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昭和天皇の御寿司番 「二葉鮨」の貴重な逸話
銀座4丁目を歌舞伎座方面に向かう。三越を左手にして歩き、三原橋を越えたあたり、ちょうど昭和通りから1本手前に走る路地を左折するとすぐ、江戸前の老舗、「二葉鮨」がある。ビル群に囲まれながらも、古き江戸の雰囲気をまとう圧倒的存在感の一軒家に誰もが目を奪われるはずだ。
日本橋葭町(現在の人形町)で修業した初代が、明治10年(1877)に木挽町に店を構えたのが始まり。まだ昭和通りも銀座という名前もなかったころだ。 山田五郎氏が著書『銀座のすし』で、「“銀座のすし”は二葉鮨にはじまるといっても過言ではない」と言うように、「二葉鮨」は寿司にまつわる逸話に事欠かない店だ。
昭和26年(1951)に建てられた現在の店は、江戸時代から続いた屋台店を模した出窓がまず目を引く。珍しい扇形のつけ台、10分進めてある柱時計、歴史を物語る大皿の数々、吉田茂から贈られた五色石がちりばめられた三和土の土間床などなど。
現在は5代目・小西亜紀夫さんが店を守るが、その祖父、3代目の小西三千三さんも数々のエピソードを残した人物だ。
皇族と旧皇族の交流の場である「菊栄親睦会」などでは、寿司の出張屋台も設営され、数々の寿司職人が寿司を握ってきたが、特に「二葉鮨」の3代目は「昭和天皇の御寿司番」とも呼ばれるほど、たびたび御用にあずかったという。
陛下は特にコハダの寿司をお気に召していたが、コハダのことはいつも「コノシロ」と標準和名でお呼びになっていたそうで、生物学者でもあらせられた陛下らしいこだわりだと3代目は語っていたという。
菊栄会は身内だけの宴なので園遊会よりはプライベートな催しだが、そんな時でも陛下はいっさい酒を召し上がらなかった。しかし陛下が日本酒好きなことを知っていた3代目は、「二葉鮨」の湯呑みにひそかにお酒を少し入れておき、陛下に「どうぞ」と差し出したという。陛下は湯呑みに口を近づける際に中身が酒だと気づくと、3代目のほうを向いてにっこりと微笑み、ゆっくりと飲み干されたそうだ。
そんな陛下はたびたび3代目に、「店のほうに行ってみたい」と仰られていたそうだが、3代目は「そんなことをしたら警備やら何やらで大騒ぎになりますから、どうかご連絡をくだされば私のほうから出向きますので、そうお申し付けください」と、これだけは頑なに固辞したという。まさに江戸っ子らしい矜持だと思う。