JR貨物もリスクを取っていかなければならない、という点は同じです。ただこれまではその資金的な余裕がなかなかなかった。いまは連結で100億円、キャッシュフローでいえば250億円が常時出るようになったわけですから、それをどんなところに投資していくべきなのかをよく考えなければならない。上場をきちんと見通せるよう、注力すべき分野を優先順位をつけて見定めていく必要を感じています。
新しいブランド・メッセージを「挑戦、そして変革」とし、「JR貨物グループ中期経営計画2023」で鉄道事業を基軸とした総合物流グループの進化や新技術導入・新規事業展開を打ち出したのも、そのような考えに沿ったものです。
「企業として安全はすべての基盤である」
――どんなところに鉄道事業の難しさを感じますか。
真貝 当たり前のことですが、「安全」への意識が頭を離れることがない、ということかもしれません。銀行員が送金ミスをしたとしても、それで人の命が奪われることはない。しかし、運輸事業者が安全上のミスをしたら取り返しのつかないことになります。
1985年に起きた日航機の墜落事故では、興銀の社員が2人犠牲になりました。当時私は組合執行部の専従として対応に当たったこともあって、なぜあのような事故が起きたか、あの時のことを忘れることができません。「企業として安全はすべての基盤である」と口うるさく言っています。
貨物列車のある情景が私にとっての原風景
――個人的に鉄道との接点はありますか。
真貝 私は秋田の生まれで、いまの秋田貨物駅(当時は八幡田信号場、のちに秋田操車場)の近くで育ちました。自宅にいれば貨物列車の音が聞こえてくるようなところで、友達にも国鉄職員の子がいました。
そう考えると、貨物列車のある情景が私にとっての原風景と言えるかもしれません。両親が新潟出身なので、墓参などでよく羽越本線を利用しました。列車の車窓から眺めた日本海に沈む夕日は、いまも強く印象に残っています。両親も私も「日本海側」の人間なので、それだけに東京や都市部への人口集中で何がおきるのか、を憂慮する思いが強いのかもしれない。
物流という仕事に携わりながら、心のどこかに「東京ばかりが便利になっていいのか……」という思いがあるのも事実です。地方の人たちの生活を豊かにするためにも、鉄道貨物が果たすべき役割を考え、その仕事を進めていきたいですね。
「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み
――そういった国鉄時代に採用された社員の定年が進み、ほぼ「JR世代」に入れ替わる時期を迎えています。
真貝 ベテランの技術は今後も重要な戦力であり、国鉄世代の定年再雇用後の人事制度や給与体系の抜本的な見直し、休日数を選べるシフト制なども導入しました。一方では、若い社員の定着率を高める取り組みを進めています。たとえば支社の採用者が、その人の事情に合わせて別の支社への転属や担当する区間の変更、運転士であれば乗務できる機関車の形式を増やすなど、時代に合った働き方ができる労働環境の整備に取り組んでいます。