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特集私が令和に語り継ぎたい「平成の名言」

2019/04/29

毎日が総括「加藤の乱 HPから政局に 『世論』で議員は動かず」

 語りどころはたくさんあるが、私は今回はある一点に絞りたい。それは、

「ネットと加藤紘一」である。

 加藤紘一は2000年のこの当時にネットで情報を発信する稀有な政治家だった。それは永田町の泥臭さとは距離を置く“先進さ”の自負にもみえた。

 加藤の計画は盟友の山崎拓と組んで野党の提出する内閣不信任案に同調する、というもの。

山崎拓氏 ©共同通信社

 毎日新聞が今年1月28日の「加藤の乱 HPから政局に 『世論』で議員は動かず」という記事で、当時HPで発信された加藤の言葉を振り返っている。

「皆様からの励ましのメールも二千通を超えました。余りのアクセス急増でサーバーがパンクしたほどです」(2000年11月13日)

「自民党は、日本の政治は、変わらなければなりません。そのために私は立ち上がったのです」(同15日)

 加藤は手ごたえを感じていた。しかし山崎拓は次のように振り返っている。

「彼が世論やネットに酔っている間に執行部に切り崩された」(毎日新聞2019年1月28日)

 ここで当時の日付を確認してみる。野党の内閣不信任案提出は11月20日の「月曜日」だった。加藤がHPで熱く語っていた11月13日などは前週ということになる。つまり、11月20日までに週末の「土日」を挟んだことになる。

 この週末に野中広務は徹底的に加藤派を切り崩した。

野中広務氏 ©文藝春秋

「野中は造反した議員からは党の公認を剥奪することを示唆した」(後藤謙次『ドキュメント平成政治史2』144P)

 エグい……。

 山崎拓の著書『YKK秘録』によると、クーデター計画を加藤と考え、民主党の仙谷由人に打ち明けたのがこの年の「10月30日」。

 しかし「11月になると、加藤の不穏な動きはすでに漏れ始めているようだった」(『YKK秘録』)

 しまいにはネット世論にうっとりしている間にどんどん切り崩される加藤紘一。政策論争は大好きだけど、永田町の根回しは不得意な加藤紘一。