加藤は「正直すぎるところがあり、政治家向きでない一面がある」
山崎拓は加藤をこう評している。
《もともと加藤は、正直すぎるところがあり、政治家向きでない一面がある。彼のような善人と付き合っていると、自分がさも策士かのように思えてしまうことも一度や二度ではなかった。》(『YKK秘録』169P)
では本物の策士はいかに行動したか? 加藤、山崎とYKKを組んでいたあの男だ。
「森喜朗打倒」の噂を聞きつけた小泉純一郎は加藤紘一にこう告げたという。
「俺なら不信任案に同調する。もっと早くやっているだろう。」
加藤は小泉にそう言われたと嬉々として山崎拓に話した。
《加藤は焦りのあまり、小泉の術中にハマるという取り返しのつかない大きなミスをおかしてしまった。》(『YKK秘録』169P)
加藤の企てはすべて筒抜けになってしまった。こうして小泉は自派閥のトップだった森喜朗を全力で守り、加藤の乱を潰す。
YKKでは3番手というイメージだった小泉が存在感を高め、翌年の総裁選に出馬。一気に熱狂を起こしたのは平成でも有数のインパクト。小泉の圧倒的な政治勘、勝負勘。それに比べると加藤紘一はいかに政局下手だったかわかる。
もう一度、当時の加藤の様子を見てみよう。
《「明日は皆さんのご期待に沿って行動するつもりです。(中略)家に帰って、皆さんからのメールをできるだけ読んでみたい」。加藤氏は11月19日こう書き込んだ。ところが翌20日の決起集会会場のホテルで、山崎派の前に現れた加藤派は半減しており、本会議を欠席して離党を回避することになった。》(毎日新聞1月28日)
もう目も当てられない……。
そしてあの場面が訪れる。