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特集私が令和に語り継ぎたい「平成の名言」

2019/04/29

いろいろ見えてなかった「平成12年の加藤紘一」

 これは決して加藤の器をバカにしているわけではない。そうではなく、おっさんたちの戦国武将ごっこと加藤紘一の相性の悪さを考えたいのである。

 たしかに加藤紘一の人心掌握術が弱かったのは事実らしい。そしてその「ウチの大将が」という子分の評価こそが、政策論争を上回っていたのが昭和自民党である。それは平成12年のあのときも同じだった。

「大将」という表現に浮きまくった加藤。しかし、人たらし的資質はないが政策論争は大好きだったという“加藤紘一的なもの”に私は注目したいのである。

山崎拓氏と加藤紘一氏 ©文藝春秋

 優等生の頭でっかちかもしれない。政治家向きではないかもしれない。

 だけど相変わらず政局優先の今を見ると、永田町で浮世離れしていた「平成12年の加藤紘一」はとても貴重に思えるのである。現代への示唆にも思える。

 負の部分も参考になる。今から19年前の時点でネットでの「自分への熱い支持」を「世の中の全体意見」だと取り違えてしまった加藤紘一。いろいろ見えてなかった加藤紘一。皮肉にも加藤はここでも先進的だったのである。今のSNS時代を先取りしていた。

 加藤の乱は失墜した人、踏み台にした人、生き残った人、さまざまだった。

 あの時の不人気首相は翌年退陣するが、そのあとの小泉旋風でちゃっかり後見人として、さらに安倍首相も生んだ清和会の大御所として今も影響力を持つ。東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長・森喜朗は現在もトップであり続けている。

森喜朗氏 ©文藝春秋

 半径10メートル以内だけには絶賛愛された男、森喜朗。加藤紘一とはまさに対照的である。言わば「あんたが対照なんだから!」。

 この比較にこそ、平成政治の一面がみえると私は考える。