――久々の長篇『王とサーカス』(2015年刊/東京創元社)が大変評判になっています。舞台がネパールなのが意外でしたが、なにより実際にあった事件を絡めながら、ものを「伝える」という、ご自身のお仕事に直接つながるテーマに正面から取り組んでいる点に驚き、感服しました。
米澤 東京創元社さんと、次はどういう長篇を出そうかという話はずっとしていました。その時に以前東京創元社さんから出した『さよなら妖精』(04年刊/のち創元推理文庫)は20代の時にしか書けなかった作品だから、30代になった今書けるものを書きましょう、という話になりました。
――『王とサーカス』は『さよなら妖精』の登場人物の一人、太刀洗万智が主人公なんですよね。『さよなら~』はユーゴスラヴィアから来たマーヤという少女と日本の高校生たちの交流が〈日常の謎〉を絡めて描かれ、マーヤの帰国後、彼女はどの地域から来たのかという謎解きが始まる。『王とサーカス』では、その時の高校生の一人だった太刀洗が28歳となり、新聞社を辞めてフリーのジャーナリストとしての一歩を踏み出している。たまたま事前取材で訪れたネパールの首都カトマンズで、王族の射殺事件に遭遇するわけです。なぜ太刀洗を主人公にしたのですか?
米澤 『さよなら妖精』を書き終えた時から、すでに「このお話は終わりました」という気にはなれませんでした。ああいう出来事を経た彼ら彼女たちがどういう道を選んでいくのか、興味があったんだと思います。それで、これまでにも雑誌媒体に太刀洗が主人公の短篇シリーズを書いていたんです。今回、「知る」ということ、それと表裏一体の「伝える」ということをテーマに小説を書く時に、違和感なく主人公は太刀洗だろうと思いました。短篇シリーズをお読みいただいていないと、太刀洗が主人公であることは唐突に思われたかもしれませんね。
――「知る」「伝える」をテーマに選んだのはどうしてですか。
米澤 あとがきにも書いたのですが、以前私が書店員をしていた頃、人が亡くなったり、大きな悲劇があると「みんなこれに関する本を買いに来るぞ」ということで関連本の棚を作っていたんです。その時に思ったのが、誰かの哀しみに関する本を読んで「考えました」と言っても、その考えたことで誰かが少しでも救われるのか、ということ。特に関係ないというのであればそれはもう、悲劇を娯楽として楽しんでいる側面を否定できないのではないだろうか、という思いがどこかにありました。それで、一回、ちゃんと向き合いたいとは思っていました。
では、どういう形で向き合うのか。「知る」ということに関してはもう、「知りたいから知るんだよ」以上の解答は出てこない。ではそれを「伝える」ことに関してはどうか。『さよなら妖精』の時も、ユーゴスラヴィアの紛争を題材に小説を書くということを無批判にやっていいものかという気持ちがありました。「そうすべきではない」と言うつもりはないのですが、これは自分の中で考え続けなければいけない宿題だと思っていました。それもあって、『王とサーカス』と『さよなら妖精』は登場人物が共通したんでしょうね。