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連載昭和の35大事件

「お宅は泥棒が入りやすい、犬を飼いなさい」東京を震撼させた“説教強盗”が捕まるまで

「お宅は泥棒が入りやすい、犬を飼いなさい」東京を震撼させた“説教強盗”が捕まるまで

真夜中、枕元で「もしもし」と言う声に目が覚めると……

2019/05/19

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア

解説:「昭和モダン」を象徴する犯罪

 真夜中、「もしもし」と言う声に目が覚める。枕元で男が穏やかな口調で言う。

「静かにしてください。騒いではいけませんよ。お金を出してください」。刃物を持っているのか。言う通りにすると、話を続ける。「お宅は戸締りはいいが、庭が暗いから泥棒が入りやすい。犬を飼いなさい」。防犯の心得を2~3時間。夜が明けるころ、姿を消す――。

 そんな強盗事件が大正から昭和に代わるころ、東京北西部の住宅で連続。新聞で「説教強盗」の呼び名が付き「昭和のルパン」ともいわれた。1万3千人もの大捜査網をすり抜けて大胆な犯行は続き、男は並外れた敏捷さから「山窩」(山奥などを移動生活した人々)出身者ともうわさされた。資産家宅では競って犬を飼い、犬の値段が高騰。国会には「帝都安寧秩序に関する決議案」が提出されるまでに。

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 以前の事件にさかのぼった捜査で指紋から身元が判明。1929(昭和4)年2月23日、左官の妻木松吉(27)が逮捕された。警視庁が認定した犯行は26(大正15)年7月から約2年5カ月間に強盗65件、窃盗29件。判決は無期懲役だったが、模範囚で、戦後仮釈放されて手記や対談で事件を回想し、87歳まで生きた。

"説教強盗"こと妻木松吉が逮捕されたことを報じた1929年2月24日の朝日新聞朝刊

 当時は「モボ・モガ」「エロ・グロ・ナンセンス」の時代。金融恐慌から不景気が進行し、農村は疲弊。娘の身売りが始まり、労働争議と小作争議が頻発した。人口流入が進む東京では新型の消費生活が生まれ、都市化の波は北と西へ拡大。新宿が新しい盛り場に。29年には最新風俗を取り入れた歌謡曲「東京行進曲」が大ヒットした。説教強盗は、現場がその地域に重なり、「昭和モダン」を象徴する犯罪となった。

小池新(ジャーナリスト)

◆◆◆

 満都を恐怖と戦慄のどん底におとし入れた稀代の盗賊・妻木松吉を当時の朝日社会部記者(河合政氏)が描く。

 初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「帝都震撼の説教強盗」

説教強盗が捕まった日 “セッキョウツカマルデロ”―― 

 朝日新聞社会部記者20年、それから従軍やら外地勤務やら十余年の生活だから、わが家に寝ていて本社からの呼出し電報をうけたことは数知れない。

 その数多くの中で、たった一ツ、いまなお忘れられない呼出し電報がある。曰く“セッキョウツカマルデロ”――

 勿論私は飛び出した。しかし心中この時ほど不快な思いで出社した経験はかつて無い。

 事件に明けくれるような記者生活、現場の仕事はもとよりだが、締切時間間際の出稿のどさくさなど、どんなに荒っぽい言葉が吐かれようとも、浴せられようとも不快な気持など持ったら、仕事はちっともすすまないものだ。

 意志が通じればいいというのが、発信者の常識だったらしい。

 しかし、朝日新聞社には決してこんな呼出しの電文がなかったのだ。

 説明すれば、説教強盗妻木松吉がつかまった時、朝日新聞の社会部デスクは、泡を食ってこんな同文電報を、事件に関係のない宮内省詰、文部省詰、東京市詰の記者にまで打ちまくって、全員をプンプンさせて出社させたのであった。

 これ程大がかりな事件が、いわゆる説教強盗だったのだ。