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説教恐怖時代の役者達

 講談氏、その日築地署でヘトヘトになってねむったが、翌日から刑事部屋で大威張り、“病気さえ持っていなかったら、こんなケチな警察につかまるんじゃなかった”――(彼はひどいゴノコッケン菌になやまされていた。)

 彼は要するにくだらないゴロツキだったし、デパートにもぐりこんで安全のつもりでいるような間抜けでもあったが、説教恐怖時代に著名人ばかりをねらって恐怖時代をつくった役者の一人だった。

 その被害者の中に、下田歌子女史があり、鶴見の総持寺などもあったが、成田山のおさい銭を狙って数日間床下にひそんだことも自白していい気持そうだった。

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 思えば、この頃は強盗時代だった。その頂点に説教強盗がいたが、荒っぽくピストルを擬して、新渡戸稲造氏邸を襲って、外国人である夫人に“マネーを出せ”などと脅し、追跡の警官にピストルを乱射した奴もいたし、“俺は説教だ”などというのを脅し文句にした奴も出た。だが切抜きや縮冊版を繰るのが嫌いな私は、私の記憶にのこることだけをここに書いてみた。

1929年2月24日の朝日新聞朝刊

※記事の内容がわかりやすいように、一部のものについては改題しています。

※表記については原則として原文のままとしましたが、読みやすさを考え、旧字・旧かなは改めました。
※掲載された著作について再掲載許諾の確認をすべく精力を傾けましたが、どうしても著作権継承者やその転居先がわからないものがありました。お気づきの方は、編集部までお申し出ください。