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特ダネに胸躍りすぎて起こった悲劇の秘話

 その大変な期待が7日目に裏切られたのを知ったのは、夕刊締切後であった。こうした当局や私の苦心にかかわりのない本社では、例の如くに“説教またも2ヵ所を荒す”といった見出しで、これが説教強盗の犯行にまちがいのないことまで書き添えていたのだ。

 これは秘話に属する。

 悲喜劇の大ものは報知紙が全面をつぶして報道した説教強盗逮捕の特ダネだった。

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 “真犯人を密告し又は捜査に協力したものに懸賞”という同紙の社告は、かなり多くの投書や情報をあつめた。社会部には特別の係を設けて、腕っこきの記者が点検しては、警視庁に連絡して捜査資料にし、これはと思う調査には記者が同行して記事資料にしていた。その中に捜査当局が色めき立つ程のものが出て来たのである。慎重な内偵が進むにつれ、これが八分通り動かないものとなり、当局が緊張するから各社も神経をとがらして、捜査の自動車を追跡したり、報知記者の動きを警戒しはじめた。

 資料と費用と労力を提供している報知社としては、ここまで押しつめて他社に食いこまれてはアブハチとらずになる。そこらに若干の焦りもあったらしい。

 ついにある払暁を期して数人の刑事がおどりこんで逮捕するときまって、社会面はすべてこれで埋め、特に第一線に従っていた記者は、一歩一歩と説教強盗の住宅に近づくスリルを、これでもかとばかり刻明に、存分に描写した。これに間違いないと信じこんだのだから無理はない。刑事が躍りこむ前に、この華かな特ダネ新聞は刷り上ってしまっていたのだ。

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 ところがこの新聞が配達されている頃にはもう、この記事全部がウソになってしまっていたのだ。

予期せぬ"犯人と軽侮の娘の関係"

 もう一つ喜劇じみていたのは、説教強盗逮捕の殊勲者の一人である主任の恒岡警部であった。

 逮捕の夜の祝宴でしたたか酔いしれた彼が、麴町の自宅に帰ったのは夜明けに近かったが、翌朝案外早く目がさめてウトウトしていると、一粒種の女児が“お父チャーン”と駈けこんで来た。そして“アタチの知っているオジチャンが新聞に出てる”という。

 恐らく昨夜の祝杯の写真に、友人や新聞記者の顔が出ているのだろうと思いなが

新聞に載った説教強盗の犯人・妻木松吉(1929年2月24日の朝日新聞朝刊より)

ら、ドレドレとちいちゃな指先の示すのをみると、なんとそれが説教氏だったのだ。

 とたんに彼はドキッとした。あるいはこの犯人、オレの動きを監視してこの娘にとり入っていたんじゃあるまいか?

 いろいろ訊いてみると、やはりソレだったのだ。しかもこのあどけない幼女と説教師のつきあいは昨日今日ではない。少くも1年以上前から、この近所でお話を聞いたり、キャラメルをもらったりして、おしゃべりをしていたらしいのだった。

 はじめは説教氏も苦労したろうが、やがては気心がわかってしまって、“きょうはお父ちゃん、どこ?”と言えば、言下に“イタバシよ”とか“イケブクロ”とか言ったらしい。

 “おうちでねんねしてから、又いくんだって”――とでもいったら、張り込みにちがいない。

 そう判ってみると恒岡警部には思い当ることが多い。誰からともわからない電話で、捜査課へ彼の行先を聞いて来たのは、この娘の言うことがはっきりしなかった時ではなかろうか。高田署へ電話がかかって出たら切れていたのは、所在を確めるためだったにちがいない。

 周到な犯人は、自分を追う恒岡の動静を、間断なく注意して、捜査班の出ていない地区を荒しつづけたのだった。恒岡警部は“もし逮捕前にこれがわかったら、辞表ものだったよ”と溜息をついていた。