捜査員を軽くかわして逃げ続ける犯人
“静かに、静かに”あるいは“犬を飼いなさい”――この強盗犯人の常套文句が、犯行を開始して数件目に、“又しても説教”となり、“説教強盗現る”の見出しになってしまったのだ。この見出しをつけたのが時の整理部員であった伊東尽一君(現熊日編集局長)だった。記者は犯人と被害者の対話まで入れて、犯人の特ちょうを強調するようになって行きこれが朝日新聞の一つの特ちょうのようにまでなったものだ。
この説教強盗が捕まったのが昭和4年の2月、犯行は大正15年からだが、昭和2、3年はその絶頂で、荒っぽいことをしないだけに却って不気味な気分だった。
これを追う警視庁と、その追跡を避けて巧みに出没する犯人の、一種のかけひきは素晴らしいみもので、ジリジリと姿なき怪盗に迫る当局の手の微妙さが、胸おどらすようだった。
怪盗の荒した場所と逃走経路の図面に、次第に線が多くなり、その線の交叉するあたりに配置される捜査隊は、ある夜は潜んでいるところから2、30メートル離れた木立に、サッと現れた怪盗を認めて追ったが逃げられ、或夜は正服巡査が不審訊問中、身をひるがえして逃げ、忽ち巡査を引き離して闇中に没し去ってしまったが、その遁走のストライドが常人とは考えられない程の大きさだったところから、山窩説が出たりしたものだった。
その騒ぎの中でも緊張の極に達したのが、学習院事件というもので、この時ほど怪盗が何か巨大な感じを与えたことはない。
拾った金時計から犯人は"学習院構内の官舎の住人"?
怪盗が奪ったものの中に金時計があり、これが品触れとなって、あらゆる時計商、質商などに廻されていたが、その時計が目白附近の時計店から現れたのである。
金側はひきちぎられて中味だけだったが、優秀なものだったのですぐソレと判り、当時の高田署に届けられた。
この売却主が学習院構内の官舎の住人とわかった時の騒ぎは大変だった。
警察担当の記者たちには、学習院の賄い騒動だといってごまかし、一方宮内省にお伺いをたてて、売却主即ち説教強盗被疑者を逮捕するという筋だった。
“どうもおかしい”と首をかしげながらも、解決寸前という期待に昂奮していた捜査班の動きは、事件記者には忘れがたいものである。