文春オンライン

「おかあさん、ありがとう」が公に言えなくなる日

そりゃ個人の事情は千差万別だろうけど

2019/05/20
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建設反対を叫ぶ地元の変わったおばさんが……

 似たようなことはいくらでもあって、天皇誕生日だかに施設が日の丸を掲げていたら施設で子どもを習わせているアジア系の子どもの親たちが、クレームとまではいわないけど「あれは何故掲げているのか」と詰め寄り気味だったり、私の職場でもフェミをこじらせた感じの女性社員がバレンタインデーの義理チョコ配りを女子社員の共同出資でやることに文句をつけていやーーな気分になったりと、なかなか世の中むつかしいわけです。しょうがないだろ、そういう慣習なんだから、としか言いようのないことってけっこうたくさんあるんです。

 事件にはならず、報道も起きませんでしたが、以前通っていた施設では建設反対を叫ぶ地元の変わったおばさんが建設予定地に発煙筒か何かを投げ込んで騒ぎを起こしていました。

 立場が違えば同じ事柄でも見え方が変わることの典型ってそういうことだと思うんですよ。正直、その一件を耳にしたときはかなり本気でババア何してんだよと思いました。言われてみれば、近所の公園でまだ小さい長男と次男を含む近所の子どもたちを遊ばせているときに、そのおばさんたちが「うるさい」と文句を言ってきたので、その数倍の声を張り上げて「お前らがうるせえ。昼間の公園で子どもが騒がないでどこで騒ぐんだ馬鹿野郎」と物腰柔らかく穏やかに申し上げたことがありました。まだあのババアどもはくたばりもせずに人様の育児の邪魔ばかりするのか。

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 もっとも、そのおばさんは悲しい経歴の持ち主で、昔から地元で交流のあった人が教えてくれたのですが、事情があって子どもが欲しくてもできなかったこのおばさんにとっては、目の前を子どもが通るのも気分的につらいところに『住んでるところの隣ブロックに保育園ができる』となると落ち着いてはいられないという気持ちも分かります。気持ちは分かるけどこちらにも立場があるので、そのおばさんの家の前を通るときは普段の数倍の大きさの声を上げながら通過するように子どもたちには強く指導しています。

子どもが勉強していたっていいじゃないか

 また、私の住むマンションにはファミリーも多くいるわけですけど、以前はマンションロビーの複数あるソファやテーブルでは午後によその子どもたちが群がって宿題をやったり談笑したりする光景がよく見られました。

 地元の学校には通っていないうちの子たちはそこには混ざらないのですが、賑やかに子どもたちが勉強している姿を見て、私は「おっ、今日もいいねえ」と思っていたわけです。楽しくやるのが一番だし、親御さんからしてもマンションの中で勉強しているなら安心だし、良いことずくめだろう、と。ところが、先日誰かがクレームを入れたのか、突然「ロビーでは子どもは遊ばないようにしましょう」とかいう無粋な看板が立つようになり、みんな気兼ねして、いつしか子どもの姿を見ることはなくなってしまいました。

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 なんてことだ。たいして使ってないロビーのソファーなんだから、子どもが勉強していたっていいじゃないか。ロビーは老人たちだけのものでもないだろうに、何で子どもが落ち着いて居られる場を根こそぎ刈り取るようなことをしてしまうのでしょう。また、そういう子どもたちの気持ちや活動を代弁する人が管理組合にいなかったのかと思うと、暗澹たる気持ちになります。