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「儀式」をやめても不都合はまったくなかったことに気づく

 そう考えると、私たちはいままで大事だと思っていた儀式やしきたり、慣行、慣習といったものを続けるのに、みんなちょっとずつ我慢してきたのだなあと感じます。

 もっと楽な方向でいこうよ、と組織に参加する人たちのコンセンサスができたとき、世の中で執り行われているイベントや儀式その他の大半は無駄であり、一部の人にとっては拭い去れない不快なものであり、実施したところでたいした価値を生んできたわけではないことが分かってしまいます。なぜなら、それをやめても、やりたい奴以外誰も困らないから。ならば、そういう儀式などをやる主催者が苦労をし、付き合わされる大多数が時間と費用を無駄にするだけで、やめても不都合はまったくなかったことに気づいたとき、現代社会はやめた数だけ便利で過ごしやすくなるものなのでしょうか。

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 そうであるならば、母の日はお袋や家内に感謝をする私たち一人ひとりが母の日とは関係なく日々の生活の中で「ありがとう」とか「愛してるよ」などと言葉をかけながら幸せに暮らすしかないのか、と思ったりもします。むしろ、いままでの母の日ってのはそういう優しい言葉を女性にかける機会のないおっさんや子どもたちが、母の日という一年に一回ある慣習にひっかけて恥ずかしい思いをせずに感謝を伝えられる仕組みだと思うんですよ。ほっといたら、あまり「母ちゃん、いつもありがとう」なんて言わないでしょ。

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大多数が「まあいいんじゃね」と思っているところへ……

 バレンタインデーにしても、生物学的にオスとメスが求愛の行動をとるために期限を切って「このタイミングで活動すると一定の成果が得られますよ」「みながいっせいに求愛する日程になっているので恥ずかしくありませんよ」という社会的合意があるので成立し、受け入れられてきたものだと思うのです。

 そういう大多数が「まあいいんじゃね」と思っているところへ、ブサイクが大声で名乗り出てきてクリスマス粉砕を叫んであまりの可哀想な雰囲気にみんないたたまれなくなったり、お酒離れの進んだ若者からそっぽを向かれてノミニケーションを豪語していた古株の管理職がぼっちになったり、世の中なかなか辛いものです。

山本家の長男が買ってきたカーネーション

 それでも、拙宅山本家では長男が小遣いをもって出かけて何をするかと思ったら小さなカーネーション買って帰って来たのをみたとき、確かに母親のいない誰かに配慮するのは人として大事だけど、自分は自分の意見をもって母親に感謝の気持ちをしっかり伝えるのはいいことだよ、と思うわけです。

 私も今後は酒を飲んで暴れることのないように致します。

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