1ページ目から読む
2/6ページ目

捜査員もうんざりした、見るに堪えない数々の写真

「裸の写真をばら撒く」

「松永太がアジトとしていた三萩野マンションや篠崎マンション(仮名・北九州市小倉北区)の室内からは、大量の写真やビデオテープが出てきた。それは松永がこれまでに関わった女性との性行為や、相手の乳首や性器に電極を当てて虐待しているものだったりと、見るに堪えないものばかり。なかには緒方純子が松永と相手の性行為を撮影した写真もあった。完全に倒錯の世界だ」

 捜査員がうんざりした口調で洩らす。緒方家を支配した際も、松永は純子だけではなく、母・静美さん、妹・理恵子さんとも肉体関係を持っていることを、家族全員の前で口にした。そうして諍いを生み出し、家族の絆が分断されていく様を楽しんだ。元福岡県警担当記者は、松永による支配の様子を記録した、ある写真の存在について口にする。

ADVERTISEMENT

「押収物のなかに、静美さんと理恵子さんの2人が全裸で並ばされ、お尻を突き出している写真がありました。それは当時の松永が、緒方家の女性を性的にも完全に支配していたことを象徴しています」

 松永は1984年、純子との不倫交際を知った静美さんが交際に反対したところ、「人目のないところで純子との別れ話を相談したい」と静美さんをラブホテルに連れ込み、無理やり肉体関係に持ち込んだ。また理恵子さんについても、1997年に純子が一時的に逃走した時期に、北九州市内のビジネスホテルで松永が迫り、肉体関係を結んでいた。

 松永は2人との性行為に止まらず、写真やビデオでその痴態を撮影し、公表すると脅していた。

完全に“金づる”として女性と接していた松永の手口

 そもそも彼には、自身の犯行の原点ともいえる、柳川市で布団訪問販売会社『ワールド』を経営していたときにも、数多の女性を毒牙にかけた過去がある。

 高校時代こそ相手に食事を奢らせる程度で済ませていたが、『ワールド』を興してからは、完全に“金づる”として女性と接した。ただ貢がせるだけでなく、消費者金融で借金をさせるなどして、現金を引っ張るようになっていたのだ。

 端整な顔立ちの松永は、拘置所面会室のアクリル板越しに、甲高い声で訴えた。

「この事件をフェミニズムの観点で非難する人がいますが、そんな先入観を排して、証拠を客観的に見たときにのみ、事件が正しく見えてくるのだと思います。そうすれば私が事件に関与していないことは明らかになるはずです」

 そんな松永の逮捕から半年以上経った頃、福岡県の某市に松永の元彼女がいるとの情報が入った。樋口佳代さん(仮名)は、戸惑いながらも私の取材に応じた。

 佳代さんが勤めていたクラブで松永と初めて会ったのは1980年代終盤、19歳のときだった。店のママに「いいお客さんだから」と席に呼ばれたのだという。

「27歳の松永はスーツにネクタイ姿で、布団販売会社の社長ということでした。銀行の支店長と一緒だったので、若いのにやり手だと思いました。それからは店に来ると、私を席に呼ぶようになったんです。接待があるから付き合ってと言われて、何度も同伴しましたが、そこでは『僕の彼女』と紹介されました」

 やがて松永は夜逃げして、佳代さんの前から姿を消した。以来、連絡は途絶えたという。私が「松永におカネを用立てたことがありますよね」と問うと、彼女は黙って頷いた。

「従業員の緒方純子が事故を起こして、示談金が200万円必要との話だったんです。それで百数十万円を消費者金融で借りて、手渡しました。向こうからは目途が立ったら返すからと言われ、断りきれませんでした」

 佳代さんは暴力や脅迫の被害を受けておらず、その点では不幸中の幸いだったといえる。

 松永は緒方家の女性たちがそうされたように、自分と肉体関係を持った女性の性的な写真を、脅しの材料として撮影していた。加虐趣味もあったが、それは相手女性にカネを工面させるだけでなく、自分の要求を拒絶できなくする“枷”としての役割も果たした。実際、純子も法廷で「自分の裸のポラ(ロイド写真)が松永の手にあり、なにかあるとばら撒くと脅された。それでもう先がないと思って諦めた」と証言している。