常に松永のそばにいた純子の心理は……
なぜここまで酷いことができるのか─。
松永の犯行をトレースしながら、なんども独り言を呟いた。口を閉ざして頭の中だけで考えていると、全身に毒が回りそうな気がしたのだ。口に出して少しでも毒抜きをしておかないと、どんな酷いことに対しても無感覚になってしまうような、危機感を覚えた。
それで耳かきの先くらいは、常に松永のそばにいた純子の心理を想像できたと思う。客観的に事件を追う私ですらそうなのだ。渦中にいた彼女が、いかに残酷な行為についての拒絶感を喪っていたことか……。
かつて松永は面会する私に向かって平然と口にした。
「私はこれまで(裁判で)自分の主張じゃなく事実を言ってきただけです。もし一光さんがこの事件をやられるならば、少なくともこれまでのマスコミや、訳のわからない裁判所の判断に拘泥されることなく、フラットな気持ちで見て欲しい。私は証拠に基づかない主張はしません」
2階の部屋から飛び降りて逃走に成功した女性も
祥子さんの死からほどなく、後に松永と純子の許から逃げ出し事件を発覚させた少女・広田清美さんとその父・由紀夫さんが囚われの身になった。同時に、松永は別の“獲物”を狙った。
その女性、原武裕子さん(仮名)は、彼女の夫が由紀夫さんの親友という関係だった。松永と純子は詐欺目的で、由紀夫さんに同夫婦を紹介させるように仕向け、面識を得たのである。
松永は1学年上で夫と子供のいる裕子さんに対し、京大を卒業した「村上博幸」と名乗り、現在は塾講師をやっていると説明して、悩みを聞くなど彼女の相談にのっていた。やがて常套手段である結婚をちらつかせて夫との別居を迫った。
由紀夫さんの死(1996年2月)と緒方家の人々の殺害(1997年12月~)の間となるこの時期、松永は夫と離婚した裕子さんと同居した。1996年10月のことだ。そこで裕子さんから搾り取れるだけカネを奪った松永は、いきなり態度を豹変させた。
自分の姉だと紹介していた純子とともに、裕子さんを殴り、手首に電気コードを巻き付けて通電を加えるなどの暴行を重ね、アパートの一室に監禁。室内に約3カ月半閉じ込められた裕子さんは、1997年3月に2階の部屋から飛び降りて逃走を図り、腰椎骨折や肺挫傷の重傷を負いながらも2人から逃げることができた。
その後の彼女について、前出の記者は語る。
「逃走から5年が経っても、裕子さんは重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいました。松永が逮捕された後、警察が捜査協力を求めても、彼女は松永に対する恐怖心が消えず、小さな物音で躰がビクッと震えてしまうような状態でした。さらに監禁された部屋から逃げ出した際に、自分の幼い子供を置き去りにした(後に保護)。その罪悪感をずっと引きずっているのです」
緒方家の親族6人が死亡した大量殺人から逮捕までの3年9カ月の間、松永と純子は変わらず“獲物”を求めて蠢いていた。