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 夜逃げの際に行動をともにした元従業員の生野さんは、松永がこまめに女性たちと会う姿を見ていた。

「私が車を運転して松永をコンビニとかスーパーの駐車場に連れて行き、そこで待ち合わせた女性の車に乗り換えて逢引きをしていました。記憶にあるのは20歳くらいのフリーターや、30代のスナックママ、あと看護師や学校の先生もいました。みんなチャーミングな感じの女性です。ほかにも、高校を卒業して『ワールド』の事務員として働いていた地味な感じの女の子とも、社内でセックスしている姿を目撃したことがあります。松永は付き合った女性に布団の信販契約をさせたり、借金させたりして、カネを引っ張っていました。逮捕後に警察の人がやってきて、松永に騙された若い女性が自殺していた話を聞き、胸が痛みました」

次の“獲物”になった元同級生は子育てに追われていた主婦

 潜伏先となった北九州市から生野さんが逃げ出した1993年1月、松永は次の“獲物”として、1985年ごろに一時交際し、その後主婦になっていた元同級生の末松祥子さん(仮名)に電話で連絡を取った。

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 子育てに追われていた祥子さんの愚痴を聞き、彼女の恋心を呼び覚ました松永は、善意の第三者を装って、「じつは自分の会社の従業員で気の毒な人がいる」と純子を紹介した。純子は妊娠中で出産を控えていたが、それは松永の第1子だった。

 祥子さんの父親を取材した私は、その時期の様子について次のように聞いた。

「祥子が毎晩出かけると婿さんから聞いて、私が問い質したんです。そうしたら『緒方さんという知り合いに、もうすぐ子供が生まれるとやけど、旦那さんが助からんごとある(助からない)病気で、ものすご大変なんよ』と言うんです」

 祥子さんは純子に手術費用を貸すため、約230万円を振り込んだ。さらに1月後半に純子が出産してからも、彼女と会うために外出した。

「娘が夜に出歩くのを止めないことを咎めると、涙を流しながら、『緒方さんはかわいそうな人なの。貧乏で子供のミルク代もなかけん、米のとぎ汁やら飲ませようとよ』と……」

 松永と純子の“演技”にすっかり騙された祥子さんに対し、松永は結婚をちらつかせて、子供を連れて自分の許に家出してこないかと持ちかけた。その誘いを真に受けた祥子さんは、1993年4月に子連れで家を出て、7月には夫と離婚してしまう。

©iStock.com

 祥子さんは北九州市で娘と新生活を始めたが、夏には松永、そして純子と彼女が産んだ長男が移り住んだ。もちろん祥子さんは疑いを抱くことなく、松永は自分と結婚するものだと思い込んでいた。そのためそそのかされるまま、子供の養育費名目で実家や前夫にカネの無心を続け、松永に手渡した。

 同年10月、祥子さんの3歳の娘が頭に大けがを負い、母親だと称する純子に連れられて病院に運び込まれた。しかし娘は死亡し、「椅子から落ちた事故死」として片付けられた。純子は実際には事故の現場を目撃しておらず、現在も真相は闇に包まれたままだ。

 ショックに打ちひしがれた祥子さんへ追い打ちをかけるように、その頃から松永による通電の虐待が始まった。そして1994年3月、大分県の別府湾で祥子さんの水死体が発見された。彼女の死については自殺か事故で、事件性はないとして処理された。父親は嘆く。

「1300万円近い金額を送ったとに、祥子の遺体を引き取りに行ったとき、あの子は家を出たときと同じ服装でした。それに預金口座には、3000円しか残されとらんかったとです」