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2019/06/01

「いったい被害者は何人いるのか」

 拘置所で実際に対面した松永という男について、いまだに目に焼き付いているのは、分厚い裁判資料を抱えて面会室に入って来てからの、ニヤニヤとした表情だ。決してニコニコではなく、ニヤニヤと粘ついた笑顔。私にはそれが、顔の表面に貼り付けられた仮面に見えた。

 また彼は何度か、1992年に少女2人が殺害された「飯塚事件」について触れた。冤罪を訴えながらも、2008年に死刑が執行された久間三千年・元死刑囚を引き合いに出し、自分もそれと同じだというのだ。

「一光さんね、久間さんは私のすぐ近くで生活されていました。あの人はどう見ても無罪です。証拠上も明らかです。つまり証拠なんかどうでもよく、裁判所に都合の悪い証拠は無視するやり方です。一光さん、どうか私の弁護人の視座に立って、検証してみてください。そうすればいかにこの裁判がデタラメであるかわかるはずですから……」

北九州市の監禁・連続殺人事件の判決公判が開かれた福岡地裁小倉支部の204号法廷(北九州市) ©時事通信社

 いったい被害者は何人いるのか。殺人で事件化されただけで7人。しかしそれ以外に松永の周辺で出た死者を加えると、少なくとも10人。さらに詐欺や傷害などにも範囲を広げれば、その4、5倍の被害者がいることは容易に想像がつく。

7人が殺害された三萩野マンションのいま

 そんな稀代の凶悪犯罪者である松永と、彼に支配されて犯行に加担した純子の逮捕から、今年(2015年)3月で13年になる。当時取材した関係先をまわると、あるところはそのままの姿で残り、またあるところはすっかり様変わりしていた。

 7人が殺害された三萩野マンションはそのままの姿で残っていた。住人によれば、事件の現場となった部屋は、いまだに空き部屋だという。

 一方で、松永が従業員を虐待しながら緒方と詐欺行為を行っていた柳川市の『ワールド』事務所は、すっかり更地となり、「売地」の看板が立てられていた。

 そして、住んでいた6人全員が殺され、姿を消した久留米市の緒方家は、家屋こそ当時のままだが、競売にかけられた末に、いまではまったく関係のない家族が住んでいる。

 それらはみな、どのような形であれ、時の経過を感じずにはいられない変化を遂げていた。だが、松永による被害を受けた人々は、いまだに変わらぬ苦しみを抱えている。

 北九州市内にあるマンションのチャイムを鳴らすと「どちらさんですか?」と年老いた男性が顔を出した。私は訪問の理由を説明した。

 彼は松永と緒方の元から逃走した清美さんが助けを求めた祖父で、現在81歳の古谷辰夫さん(仮名)である。私は清美さんが逃走のあとで、たしか児童相談所の施設に入っていた記憶があることを口にした。

「施設は半年で出て、小倉にアパートを借りて独りで暮らしとりました。そのときは児童相談所で手伝いのアルバイトをしよりました」

 やがて清美さんは仕事を見つけ、県外に出て行ったと彼は続けた。

「それから1年くらいして、うちに顔を出して、結婚するって報告がありました。子供も2人生まれています。電話連絡で知りましたが、両方とも男の子です」

 じつはそのあたりの事情については把握していた。彼女は施設にいるときに知り合った男性と交際していて、一緒に県外に出て結婚したのだ。

 あの残酷な事件の被害者として生き残った清美さんについて、それ以上詳しく質問することは憚られた。私は帰り間際、せめて亡くなった彼女の父親・由紀夫さんの墓参りをしておこうと思い、その場所を訊ねた。

「由紀夫の墓は建ててないんですよ。遺骨もなんもないからねえ。位牌だけ、うちの仏壇のなかに置いてるだけですよ」

 淡々とした言葉が返ってきた。

 遺骨がない。初めて“遺体なき殺人事件”の罪深さを実感した。

 2008年の面会を機に始まった松永との手紙のやり取りは、翌年の春を迎える前にぷつんと途切れた。彼の言葉を信じようとしない私について“使えない奴”と判断したのだろう。

 本来ならばもっと上手に付き合い、彼が訴える“真実”の正体をつきとめるべきだったのかもしれない。だが、私はどこかで松永との糸が切れたことに胸を撫で下ろしていた。

 怖かったのだ、彼が。

連続殺人犯 (文春文庫)

小野 一光

文藝春秋

2019年2月8日 発売